人間の足では出せないスピードで、どこへでも自由に出掛けられるクルマ。ゆえに、運転を趣味にするドライバーは、筆者を含め非常に多い。
しかし、そんな自由の中にある“不自由”ほどストレスを感じるものはない。信号、渋滞、死角、道路交通法、そして、その法を無視する他ドライバーなどがその例だ。事故や危険運転も、こうした運転上のストレスが原因で起こることがよくある。
世間で危険運転が真剣に考えられるようになったきっかけの1つに、2017年6 月に執拗なあおり運転の末に夫婦が後続のトラックにひかれ死亡した、いわゆる「東名高速夫婦死亡事故」がある。
当時、その執拗で悪質なあおり運転は、世間に強烈なインパクトを与えた。あの事故の後、日本の道路を走るドライバーであれば、誰しもが1度は自身の運転を省みたはずだ。
が、あれから2年がたった現在でも、危険運転が道路から消えたかといえばそうとは言えず、むしろドライブレコーダーの普及も手伝って、その悪質性がより一層表面化したようにすら感じる。
実際、今年も相手ドライバーを殴る、エアガンを撃つなどといった常軌を逸した危険運転が多く報道された。こうした悪質なあおり運転においては、一番重い罰則が現在の「免許停止処分」から今後、規制を新たに設けることで 「免許取り消し処分」にする方向で検討されているというのも、ここ最近大きな話題になったばかりである。
ドライバーが危険運転をしてしまう原因には、先の「自由の中の不自由」のほかにもう1つ、「他の道路使用者とのコミュニケーションの難しさ」がある。
前出のケースのように、危険運転そのものを日頃のストレスのはけ口にする悪質かつ例外的なドライバーもいるが、一般的な道路使用者同士のトラブルを振り返ると、「コミュニケーションさえ取れていれば起こらなかった」と考えられるものが多い。
そんな中、今年の東京モーターショーの取材で目にとまったのが、近未来型車両として展示されていた「音声と文字で知らせるトラック」だった。
道路使用者の新しいコミュニケーション手段として、今後「しゃべる車両」は浸透していくのだろうか。その可能性と課題を考察してみたい。
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