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» 2019年12月04日 05時00分 公開

マシリトが行く!【前編】:『ジャンプ』伝説の編集長が、『ドラゴンボール』のゲーム化で断ち切った「クソゲーを生む悪循環」 (2/5)

[伊藤誠之介,ITmedia]

268億円の損失を出してバンダイの「A級戦犯」に……

平氏: それこそ『ドラゴンボール』をゲーム化するにあたって、ロイヤリティーがいくら、みたいなことも全く決まっていなかったんですよね。しかもよくよく話を聞くと、その当時に鳥嶋さんが決めたロイヤリティーの割合が、今でもこの業界での割合のベースになっていたりする。まだ20代だった若い鳥嶋さんが、いろんな前例のないことをどんどん決めていく。そういう時代だったんだと思います。

 それで、内山さんが『ドラゴンボール』のゲームに初めて関わったのは? 

内山氏: 私は1994年にバンダイに入りまして、ゲームの部門に配属になりました。そこで最初に担当したのが、『ドラゴンボールZ 超武闘伝3』という、スーパーファミコンのゲームのアシスタントですね。このときから神保町の『ジャンプ』編集部さんにお邪魔をしまして。いちばん最初に『ドラゴンボール』に携わらせていただいてから、いまだに世界中に『ドラゴンボール』のゲームを提供しているという、縁の深い作品だと認識しています。

phot 『ドラゴンボールZ 超武闘伝3』(Amazonより)

平氏: 『ドラゴンボール』に限らないかもしれないですけど、当時のバンダイがマンガやTVアニメをゲーム化していくときの風潮というか雰囲気みたいなものって、どういったものだったんでしょうか? あえてキツめの表現で言いますけど、当時のバンダイのゲームって、必ずしも出来がよろしくないというか、そういうものが多かったと。それで、そういった部分に対して、鵜之澤さんが立ち向かわれたとお聞きしているんですけど。

鵜之澤氏: 僕は1999年にゲーム事業を担当するようになったんですけど、1995年から99年までは、バンダイがApple(アップル)と提携して「ピピンアットマーク」【※】という機械を作って、僕がその責任者だったんです。これでバンダイは268億円の損失が出た。「A級戦犯」は私です。危うくバンダイを潰(つぶ)しそうになったんですけど、バンダイは懲りずに「ビデオゲームをもう1回やってみるか?」と言ってくれて。

 この当時はバンダイのゲーム部門が中野坂上にあって、ビデオゲームの担当者が16人とかそれぐらい。

※ピピンアットマーク バンダイとAppleが共同開発して、1996年に発売したマルチメディアマシン。Macintoshと互換性があり、一部のMac用ゲームをプレイすることも可能だった

内山氏: 20人いなかったぐらいですね。

phot 「ドラゴンボールとバンダイ(ナムコ)の関係年(2)」
phot 「ドラゴンボールとバンダイ(ナムコ)の関係年(3)」
phot 「ドラゴンボールとバンダイ(ナムコ)の関係年(4)」
phot 「ドラゴンボールとバンダイ(ナムコ)の関係年(5)」

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