「シリコンバレー・イズ・カミング」から始まったフィンテック マネーフォワード瀧氏に聞くFinTechを読み解く(1/2 ページ)

» 2019年12月17日 07時30分 公開
[斎藤健二ITmedia]

 すっかり日本でも定着したフィンテック(FinTech)という言葉。これは、どのようにして始まり、どんな文脈の中で動いているのか。金融庁の「フィンテック・ベンチャーに関する有識者会議」メンバーでもある、マネーフォワードの瀧俊雄取締役に、フィンテックの潮流を聞いた。

マネーフォワードの瀧俊雄取締役

「シリコンバレーがやってくる」

 フィンテックという言葉は、2014年の暮れくらいから検索などで増えてきました。大きな流れは海外から来て、この時期くらいからジワジワと上がってきたんです。このトレンドは他の国でも変わりません。

Fintech検索数の推移(マネーフォワード資料より)

 15年春に、JPモルガンCEOのジェレミー・ダイモンがさらっと「シリコンバレーの競争力が高い」と株主向けのレターを出しました。「シリコンバレー・イズ・カミング」という内容で、シリコンバレーから、ユーザー体験を提供したりイノベーションを起こす流れが起きていると書いてあるのが話題になりました。

 でもよく見ると、レポート内での文字数は多くなくて、年次報告書の1パラグラフだけ。分野はかなり限られています。シリコンバレー・イズ・カミングといっても、ビッグデータを使って信用創造し融資をやっているという話くらいです。それでも、「私たちも彼らに負けないようにやっていきます」というジェレミー・ダイモンのコメントもあり、こんな小さな段落に世の中がけっこう動揺しました。

 JPモルガンほどの人たちがこういうことを言い始めたということは、何かあるぞ、と。国際金融的な話題として、トップの金融機関がこういうことを意識し始めたのですから。

 ほかにも、決済の分野で競合がやってきたということも書いてありました。ビットコインがまだすごいと言われていたタイミングでしたが、「PayPal的なものが決済には来ている」「PayPal口座をみんな持っていたら米国の全銀ネットのようなシステムが代替されるよね」、などです。

 こっちのほうがむしろ取り上げられてもよかったのですが、世の中の多くは「シリコンバレー・イズ・カミング」というタグラインですごく盛り上がりました。「シリコンバレーがやってくる」と訳した人もいて、ビートルズみたいですよね。これがエポックメイキングな出来事でした。

14年の夏から始まった日本のフィンテック

 この当時、日本は特にそうですが、テクノロジー産業は受託中心で、開発は委託して作ってもらうものだという発想が強かった時期です。

 14年の夏に、日本では金融庁の金融審議会で「決済業務等の高度化に関するスタディ・グループ」というのができて、その会期の途中段階からフィンテックという言葉を使うようになりました。最初は決済業務などの高度化の話で、「全銀ネットの今後はどうなるのか」といったテーマの検討から、だんだんITを活用した新しいサービスの内容のほうが強くなっていきました。これが日本で報告書上に登場してきて、センチメントとしては温まってきたんです。

 このときの金融庁の狙いは、必ずしも、フィンテックという流れを作るというものではありませんでした。世界の法制度が新しいことをやっているのに、日本はこれでいいんでしたっけ? というニュアンスが込められていました。やるべきことが決まっている検討から始まっていたんですが、最終的には、このスタディグループは銀行法の改正につながっています。銀行の子会社の扱いや出資規制を緩めて、フィンテック企業へ5%以上の出資が可能になったのがトピックでした。

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