“辺境の密造酒”スコッチ・ウイスキーが世界を制した訳――「資本主義の酒」の歴史的マーケティング「伝統とこだわり」をどう確立したのか(4/7 ページ)

» 2019年12月27日 08時00分 公開
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「ブレンデッド・ウイスキー」の誕生

 時代は前後しますが、「ウイスキー」という単語が初めて使われた例として、1736年の文書が残されています[18]。先述の通り、ラテン語の「アクア・ヴァイティ」は、ゲール語では「ウスケボー」、あるいは「ウィスク・ベーハuisge beatha」と呼ばれていました。この「uisge」が訛り、ウイスキーになったとされています。

 しかし当時のウイスキーは、現代のそれとは別物でした。

 というのも、肝心の樽熟成を(ほとんどの場合)していなかったからです。また、現在店頭に出回っている製品の大半は、加水してアルコール度数を40%程度に調整してあります。しかし当時は蒸留したままの70%ほどの度数で、数週間のうちに販売・飲用されていたようです。この習慣は19世紀中頃まで続きました[19]。

 「ウイスキーは樽熟成したほうが美味(おい)しくなる」という知識は、古くから知られていたようです。しかし1830年代になっても、熟成させたウイスキーを飲めるのはごく限られた富裕層のみであり、大半のものは蒸留から1年以内に消費されていました[20]。

 ところで、スコッチ・ウイスキーは蒸留所ごとに味が違います。これは、日本酒の味が蔵元ごとに変わるのによく似ています。例えば「グレンリベット蒸留所の酒は美味(うま)い」というように、古くから消費者は蒸留所ごとに味を評価していました。

 ところが1853年、エジンバラの酒類販売業者アンドリュー・アッシャーが、この伝統を打ち破りました。複数の蒸留所から買い付けた原酒を混ぜて、自社のブランド名をつけて販売する許可を得たのです[21]。

 じつのところ、原酒を混ぜて客に提供するという行為そのものは、大樽を持っている酒屋や居酒屋で長い間行われてきました。アッシャーが卓越していた点は、より美味(おい)しい酒を造るために混ぜるという、そのブレンド技術にあったようです。

 また1845〜1856年頃には、グレーンウイスキーを連続式蒸留器で作ることが一般的になりました。先述の通り、トウモロコシや小麦などの雑穀を原料にしたウイスキーです。

photo グレンファークラス蒸留所のポットスチル(英バンフシャー、著者撮影。画像は一部加工済)

 それまでのウイスキーは、全て「単式蒸留器(ポットスチル)」で作られていました。この装置では、蒸留1回ごとにもろみを入れ替える必要があります。一方、この入れ替え作業を廃止し、もろみを連続投入できるようにした装置が「連続式蒸留器」です[22]。

 ポイントは、連続式蒸留器のほうが高濃度で不純物の少ない(悪い言い方をすれば「味のない」)アルコールを造れるという点です。

 現在の日本でもサントリー社の『知多』というグレーンウイスキーが出回っていますが、味わいは『山崎』のようなモルトウイスキーに比べて、軽く爽やかです。その理由は、蒸留した時点での不純物(いわゆる「雑味」成分)が少ないからでしょう。

 さらに1860年の酒税法改正により、グレーンウイスキーとモルトウイスキーのブレンドが許可されました[23]。味の薄いグレーンウイスキーに、モルトウイスキーを混ぜて味付けするという加工が可能になったのです。こうして生まれたのが「ブレンデッド・ウイスキー」です。

 現在の地球上で飲まれているウイスキーのうち、およそ半分はスコッチ・ウイスキーであり[24]、さらにそのうちの9割近くがブレンデッド・ウイスキーだとされています[25]。コンビニの店頭で「ジョニーウォーカー」や「ホワイトホース」「シーバスリーガル」といった銘柄を見かけたことのある方も多いのではないでしょうか。これらは全て、スコットランド産のブレンデッド・ウイスキーです。

 モルトウイスキーはクセが強く、万人向けではない製品も珍しくありません。

 飲み口のまろやかなブレンデッド・ウイスキーが誕生したからこそ、スコッチ・ウイスキーは世界に羽ばたくことができたのです。

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