確かに「3年以上の樽熟成」が義務付けられたのは1915年ですが、これはすでに一般的になっていたウイスキーの販売方法を追認しただけでした。
ブレンデッド・ウイスキーを作るためには、味の違うたくさんの原酒が必要です。そして、ウイスキーに味の違いをもたらすためには樽熟成が欠かせません。1853年にアッシャーがブレンデッド・ウイスキーを開発できたということは、樽熟成した原酒が入手できたからであり、また、それを好む顧客がいたからでしょう。
樽熟成は、資本主義や商業主義とは対極にある発想です。ジャストインタイム方式という言葉に象徴されるように、在庫はできるだけ少なく持つほど利益を大きくできるからです。倉庫内で何年も原酒を寝かせるのはいかにも非効率です。
この時代に一体何があったのでしょうか?
後者の疑問から答えましょう。
まずアッシャーが樽熟成した原酒を入手できた理由ですが、それは直前数年間の過剰供給の影響かもしれません。
スコッチ・ウイスキーは直線的に生産量を伸ばしてきたわけではなく、細かな急増と急減の波を繰り返しながら発展してきました。アッシャーがブレンデッド・ウイスキーを開発した直前を見ると、1850年にピークの1163万プルーフ・ガロンを記録したあとスコッチの生産量は減少に転じ、1852年には994万プルーフ・ガロンまで落ち込みました。彼が新製品を思い付いた1853年は回復期に当たります[33]。
1850年に作りすぎたからこそ、各蒸留所は翌年以降の生産量を落としたわけであり、売れ残ったウイスキーは在庫として倉庫の中で保管されたはずです。もちろん、樽に詰められて――。アッシャーが利用したのは、こうした在庫品だったのかもしれません。
また19世紀半ば以降に、消費者が樽熟成したウイスキーを好むようになった理由を考えてみましょう。これは単純に「人々の生活が豊かになったから」と言えそうです。
産業革命は18世紀半ばから始まったとされていますが、即座に人々の生活水準が向上したわけではありません。その成果が出るのに、半世紀〜1世紀ほどのタイムラグがあったのです。
例えばイギリスの識字率の推移を見ると、19世紀の半ばから急上昇しています[34]。じつは現代的な学校教育は、産業革命期のイギリスで始まりました。工場で働くためには機械のマニュアルを読めなければならず、製品の数量を計算できなければなりません。基本的な読み書きそろばんの能力が、農業中心の社会よりも求められるのです。
経済の中心が工業になり、人々が現代的な消費生活へと移行を始めた――。そんな様子を、識字率の変化から推察することができます。
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