すると負けん気の強い子はダンスレッスン以外の時間にも自分で練習するようになります。山田涼介さんのように自分で大きな鏡を買って自主レッスンをしたり、自分でダンススクールを見つけて通ったりする子もいました。
教育現場に転用するならば、授業以外の子どもたちの時間を充実させるために、授業時間内に刺激を与えるということでしょうか。24時間子どもたちを管理することはできない。ジャニー氏は限られた時間のなかで他の時間を充実させて過ごすために何をすればよいのかを考え、本人にやる気を出させたと言えると思います。
また、おのおのの適性を見極めて、進むべき道を示す言葉を与えています。NEWSの小山慶一郎さんが、まだジュニアになってすぐのころ「ユーはおしゃべりする仕事をしなさい」と声を掛けたそうです。むろんジュニアなので、当時与えられていた仕事であるダンスは頑張るけれども「自分は話すことも頑張る」という意識をもつことで他の時間の過ごし方が変わっていく。
その約10年後、小山さんがニュースキャスターになったことを考えると、ジャニーさんが普段のコミュニケーションのなかでも刺激を与え、人生を変えていったエピソードと言えるでしょう。
2つ目は指導者だけど偉そうにしないスタンスの徹底です。元NYCの中山優馬さんはジャニー氏の死後「友達みたいな感じ」といっていました。ジャニーズでそう話す人は多いです。しかしこの後に続く「何かあったときはお父さんになる」という言葉が重要なのです。
これは指導する例としてとても大事なこと。親しみやすくすることは比較的簡単にできる。さらにアクシデントなどがあったときに自分のことを守ってくれる、責任をとってくれるお父さんのような存在になれるか。友達っぽさだけでは指導者ではないですからね。話しかけられる親しみやすさと、何かあったときに責任をとる信頼感を両立させた指導者であるべきでしょう。
3つ目は失敗さえもほめること。加藤シゲアキさんは、ライブで振り付けを間違えた人のことを褒めていた、と振り返っています。昔、少年隊が「仮面舞踏会」で紅白歌合戦に初出場したときに、司会の加山雄三さんが曲名を「仮面ライダー」と紹介して、東山紀之さんがすごく落ち込んでいるときに「これで覚えられたね」と褒めた……というエピソードはもはや伝説のようになっています。
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