ゲームをスポーツ競技として捉える「eスポーツ」が近年盛り上がりを見せている。近年ではプロスポーツ選手同様、eスポーツで生計を立てる「プロゲーマー」が新しい職業として国内でも認知されはじめている。
記事の前編「東大卒プロゲーマー「ときど」はいかにして生まれたか――ゲームは毒にも薬にもなる」では東京大学を卒業してプロゲーマーになったときどさん(34)の経歴をひもといた。後編ではスランプに陥っていたときどさんがいかにして乗り越えたのかをお届けする。
ときどさんのプレイスタイルは屈指の“理論派”として知られ、その合理的なメソッドはファンの間から「ときど式」と呼ばれている。その「ときど式」をもってしても勝てない、スランプの時期が1年近くあったという。
その後ときどさんはときど式を改良した、「新・ときど式」を考案。そこには、アジャイルや垂直統合化、PDCAサイクルなど、現代のビジネスに通じる考え方が生かされている。
この考え方をまとめた書籍『世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0』はダイヤモンド社より発売中だ。
「新・ときど式」こと「努力2.0」とはなんなのか。簡単にいうと「ときど式」と呼ばれる「努力1.0」では努力=大変なことという側面があり、「勝ちにこだわる」「一人でやる」「ただがむしゃらにやる」というシリアスに歯を食いしばる努力の方法だったとときどさんは定義している。一方で「新・ときど式」は無理をしないということを努力のモットーとしていて、「『負け』の中に答えがある」「ライバルは敵ではない」「心に『負荷をかけない』」などより柔軟な方法論を取っている。
ときどさんはこの「新・ときど式」によってどのようにスランプや挫折を乗り越えたのか。ときどさんに聞いた。(一部、敬称略)
――ときどさんは2010年に東大院を中退しプロになりましたが、13年ごろから一時スランプに陥ったと明かしています。何が原因だったのでしょうか。
当時の僕は、1つのゲームタイトルに絞らず、多くのゲームを並行してやっていました。それぞれのタイトルでトップとまではいかなくとも、世界トップ10ぐらいに入る感じで取り組んでいたんですね。
しかし今となっては分かるんですけど、こうしたゲームの中には、当時は勝てば大きな賞金が得られるわけでもなく、大会に出るようなプレイヤーでも「単に趣味で遊んでいるだけ」というタイトルも少なくなかったんです。極端にいえばそういった人たちを相手に勝っていただけだったんですね。
それが次第にeスポーツが注目されるようになり、いろんなゲームタイトルの大会賞金が上がってくるようになりました。すると、大勢のプレイヤーがそれぞれのタイトルに真面目に取り組むようになり、手広くやっていた僕は勝てなくなってしまったんです。
――それぞれのゲームタイトルは、スポーツで言うと種目に例えられるかもしれません。それまであまり注目されてこなかった種目もビッグビジネス化したことで、水平横断的に取り組まれていたときどさん自身に、いわば垂直統合化を求められたということになりますね。当時はこの構造の変化を自覚できなかったものだったのでしょうか。
今となっては原因がそこだと分析できているんですけど、当時は分からなかったですね。ただ、古くからゲームタイトルを絞ってやっていた人からすると、この先僕みたいなプレイスタイルの人間が勝てなくなるだろうということは分かっていたみたいです。
――「旧・ときど式」では何がいけなかったんでしょうか。
それまでの僕は、それぞれのタイトルで自分が勝てる型をいち早く作って、それをいかに本番でミスなく実践できるか、というところに重きを置いていました。ですので練習方法も、自分より圧倒的に弱い人たちとオンラインでランダムに2、3試合対戦するというものだったんです。
ところが、プロゲーマー同士の戦いになってくると、自分と同じぐらいの実力の人と何度も戦うことになります。大会の試合数も、7試合や10試合先取というように多くなります。こうなると、こっちがいくら勝てる型を身に付けていても、すぐにその型に対応されてしまうんですよ。ですので、その型を超えたところが問われることになります。必然的に練習方法が変わりました。
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