コロナ禍で露呈 あなたは「人間性を疑う」上司やパートナーと居続けるべきか非常事態が問うもの(3/4 ページ)

» 2020年05月21日 08時00分 公開
[真鍋厚ITmedia]
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「人間性を疑う上司の下で働き続けるのか」

 近年、人の尊厳を保つのに必要とされる人間関係やコミュニティーといったソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の重要性に関心が注がれていまます。コロナ禍が人間関係やコミュニティーの再考を迫る強力な刺激剤となっている以上、今後もさらに既存の帰属先や関係性をスクラップ&ビルドする動きが加速することが予想されます。

 分かりやすく言えば「人間性を疑う上司の下でこの先も働き続けるのか」「人間性を疑うパートナーといつまで寝食を共にするのか」ということであり、抽象的に言えば「裸の実存」に基づいてもう一度自分自身の人生を生き直すということであります。「これからもテレワークをし続けたい」「以前のような働き方には戻れない」などといった感慨は、「何を守るために、誰と、どう生きるのか」という大きな問題の枝葉でしかありません。

 人類学者の西田正規は、「定住革命」について「逃げられる社会から逃げられない社会へ」というフレーズで表現しました。

 霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活の伝統は、その一員として生まれた人類にもまた長く長く受け継がれた。定住することもなく、大きな社会を作ることもなく、稀薄な人口密度を維持し、したがって環境を荒廃することも汚物にまみれることもなく、人類は出現してから数百万年を生き続けてきたのである。だが、今、私たちが生きる社会は、膨大な人口をかかえながら、不快であったとしても、危険が近づいたとしても、頑として逃げ出そうとはしないかのようである。生きるためにこそ逃げる遊動者の知恵は、この社会ではもはや顧みられることもない。(西田正規『人類史のなかの定住革命』講談社学術文庫)

 かつて人類は長い間、「遊動者」として生きていました。それが劇的に変化したのはおよそ1万年前といわれています。「ある時から人類の社会は、逃げる社会から逃げない社会へ、あるいは、逃げられる社会から逃げられない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えた」(前掲書)のです。

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