クルマはどう進化する? 新車から読み解く業界動向

「DS3 クロスバック E-TENSE」 100年に渡る物語が導いたEV池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/6 ページ)

» 2021年02月22日 07時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

米国のヨーロッパ進出

 実はシトロエンの買収劇以前から、米国ビッグ3は欧州でのビジネスを検討し、それに打って出ていた。GMは25年に英国のボグゾールを買収し、欧州への足がかりを築いた。欧州への更なる拡張を狙って、シトロエンの買収に乗り出したのだが、前述のようにそれは結果的に失敗に終わったというわけだ。

 フォードは11年にイギリス・フォードを、31年にドイツ・フォードを設立し、それが現在の欧州フォードへとつながっていく。

 クライスラーはどうだったかといえば、英国のルーツグループへの出資を徐々に増加し、クライスラーUKを設立。このほかにフランスのシムカを買収してクライスラー・フランスを立ち上げた。67年にこの2社を統合してクライスラー・ヨーロッパを設立。しかし、クライスラーは米本土での販売競争にインセンティブをつぎ込み過ぎ、さらに大量の自社登録などの自爆で財政が悪化、78年に手塩にかけたクライスラー・ヨーロッパをPSAに譲渡することになるのである。

 PSAは欧州内での生産拠点拡充を主たる目的として、英国の生産工場を欲していたというのが本当のところだが、ルーツ・グループにはラリーの名門タルボがあり、クライスラー・フランスの母体であるシムカもまたラリーの名門であった。PSAは偶然入手したこれら名門チームの人材とノウハウというリソースを、プジョーブランドのスポーツイメージ向上に役立てる戦術を策定、プジョースポールを発足させた。

 こうしてプジョーはモータースポーツイメージを身にまとい、そのイメージに相応しい205を爆発的にヒットさせた。特に日本におけるプジョー元年を開いたのはこの205である。

 と、長々と何の話をしたかったかといえば、PSAのリーダーカンパニーであるプジョーとクライスラーの浅からぬ関係である。そこにはシトロエンも顔を出すし、シムカはもとはといえばフィアットのノックダウンからスタートした。もっといえばシトロエン史上に名を残すトンガリモデル「SM」のエンジンを供給したのはマセラティといった具合に複雑に絡み合っている。

 そしてその根底にあるのは欧州メーカーと米国メーカーの、1920年代からの宿願ともいえる相互進出が、このステランティスの出現によってようやく果たされたのではないかということだ。もちろんこれまでもダイムラーとクライスラーのような例がなかったわけではないが、どうも呉越同舟のまま終わった感が強い。フィアットとクライスラーの連合であるFCA自体が欧と米の連合だが、今回のアライアンスのスケール感が持つ印象と比べると粒が小さく感じる。

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