平城京や自由が丘で「踏切除却」! 鉄道、街はどうなる?杉山淳一の「週刊鉄道経済」(4/6 ページ)

» 2021年04月02日 13時02分 公開
[杉山淳一ITmedia]

ファッションとスイーツの街「自由が丘」を安全に

 東京都目黒区自由が丘は、東急東横線と大井町線が交差する街だ。東横線は渋谷と横浜という大都市を結び、沿線には高級住宅地の田園調布、学生街の日吉を控える。自由が丘駅は元々「九品仏」という古刹の最寄り駅だった。しかし後に九品仏の門前に大井町線の九品仏駅が作られたため、自由ヶ丘駅(当時)として再出発する。

 駅名の由来は九品仏駅時代に付近に開校した自由学園だ。ちなみに自由学園の幼稚園と小学校は後に「トモエ学園」となった。黒柳徹子さんの母校であり、名著『窓際のトットちゃん』にも登場する。

 「自由が丘駅」の表記は66年からだ。九品仏の最寄り駅として開業してから94年。戦後は鉄道の便が良いため闇市が立った。自由が丘はにぎわいを取り戻し、便利な商業地として発展していく。女性の幅広い年齢層に人気のある街で、衣料品店や洋菓子店が多い。かつて歌手の松田聖子さんもファッションブランド店を構えていたし、俳優の津川雅彦さんも玩具店「グランパパ」を構えていた。

 個人的なことを言うと、小中学生時代の私は「玩具のマミー」に通っていたし、おめでたいことがあれば親戚の誰かがモンブランのケーキを買ってきた。モンブランは日本で初めて栗のケーキ「モンブラン」発祥の店だ。狭いエリアだけど歓楽街もある。つまり、子どもや大人の男性まで包容する街である。

 古くて伝統ある商業地には共通の悩みがある。古い建物が密集し、道が狭い。駐車場が不足していたため、路上駐車や商用トラックなど自動車によって歩きにくい。ピーコックというスーパーマーケットはクルマに乗ったままエレベーターで屋上駐車場に行けるという当時としては珍しい仕組みがあって、ウルトラ警備隊の出動シーケエンスのようで楽しかったけれど、それも自動車交通が不便だったからだ。賑やかな街だけど、老朽化した建物も含めて、安全面で問題のある街でもある。

 そこで自由が丘駅周辺地区では、道路拡張を含む再開発計画が何度か検討された。97年(平成9年)に目黒区によって「自由が丘駅周辺地区整備方針」が策定された。02年(平成14年)3月に目黒区は自由が丘地区を「中心市街地活性化法」に基づく中心市街地として位置づけ基本計画を策定した。併せて自由が丘のまちづくり会社、株式会社ジェイ・スピリット設立する。出資者は自由が丘商店街振興組合、目黒区、各商店街代表者、各住民団体代表者、鉄道事業者、商工会議所、公共事業者、金融機関、地元有力企業と個人有志だ。つまり自由が丘の利害関係者全てが集まった。

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