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博報堂出身のクリエイティブディレクター、GO三浦崇宏さんに聞く「広告業界の問題点」 炎上をいかにして回避するか『「何者」かになりたい 自分のストーリーを生きる』【後編】(1/4 ページ)

» 2021年06月25日 08時00分 公開
[鳥井大吾ITmedia]
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 この数年、広告業界を取り巻く環境が大きく変化している――。電通が2月に発表した「日本の広告費2020」では総広告費が6兆1594億円(前年比88.8%)だった一方、インターネット広告費は2兆2290億円(前年比105.9%)と、コロナ禍であっても成長を見せた。この変化に対応するため、大手をはじめとした広告会社が事業領域の拡大や異業種との協業を模索している。

日本の総広告費の変遷=電通の発表より
媒体別の広告費(2018年〜20年)=電通の発表より

 また事業面だけでなく、価値観の多様化によって広告表現自体にも変化や柔軟な対応が求められるようになった。ジェンダーや人種、性差に関する表現においても、以前であれば、それほどの批判にさらされることのなかった表現が近年、SNSを中心に“炎上”するケースが度々起きている。

 こうした問題に広告業界や企業でPRを担当する人たちはどのように向き合えばいいのか。博報堂出身で現在はThe Breakthrough Company GO(東京都港区)の代表取締役を務めるPR・クリエイティブディレクター、三浦崇宏さんに取材。広告業界の過渡期に創業した理由や、最近の広告会社のビジネスモデル、広告表現と炎上、その回避策を聞いた。

三浦崇宏(みうら・たかひろ)1983年東京都生まれ。The Breakthrough Company GO代表取締役、 PR・クリエイティブディレクター。博報堂、TBWA\HAKUHODOを経て2017年に独立。 日本PR大賞、Campaign ASIA Young Achiever of the Year、ADFEST、フジサンケイグループ広告大賞、グッドデザイン賞、カンヌライオンズ・国際クリエイティビティ・フェスティバル、ACC賞クリエイティブイノベーション部門グランプリなど受賞多数(撮影:KAZAN YAMAMOTO)

「最先端の仕事」がしたい

――三浦さんは2017年に博報堂から独立する際に、「成長」「お金」「名誉」の3点について、独立前後を比較して考えたと『「何者」かになりたい 自分のストーリーを生きる』(集英社)の中で語っていますね。広告業界の市場規模など、勝算については、どう考えたのですか?

 独立することに関して勝算まではありませんでした。ただ、勝てなくても「負けないだろう」とは考えていました。まず「お金」の面では、博報堂で10年間仕事をしていたので、例えば当時の年収が1000万円だったとします。独立しても、企業のコンサルティングを月30万円でやるとして、その仕事を3社引き受ければお金の面は解決しますね。たとえ事業が失敗しても、転職して副業をすればお金に大きく困ることはないと思っていました。

 次に「成長」について。確かに博報堂には充実した研修制度があり、多様な経験やスキルを持った先輩が少なくありませんでした。そうしたサポートが無くなる不安がある一方、その方々が持つ経験やスキルが一生廃れないかという点については懐疑的でした。会社の先輩から学ぶことよりも、ルールが激しく変化する現代では、異業種の経営者から学ぶことの方が大きいと感じていたからです。何より博報堂の先輩方は皆さん素晴らしかったので、独立しても付き合いを継続してくれると思っていましたから(笑)。

 最後の「名誉」については、博報堂ではナショナルクライアントと呼ばれる有名企業の仕事の依頼が舞い込んでくる一方、独立するとそれができなくなると思いました。広告の仕事をする上では、世の中に大きな影響を与える仕事をしたいと思うのが一般的です。

 ここでぼくはそうしたナショナルクライアントをはじめとした「最高峰の仕事」はできないとしても、スタートアップなど「最先端の仕事」については、独立した方が自由にできると考えました。それは間違っていなかったと思っています。結果として、現在は最先端の仕事も最高峰の仕事も両方できるようになりました。

――博報堂から独立する際に、GOをどんな会社にしていきたいと思いましたか?

 まず広告会社は、クライアントが広告を出稿する際にもらう手数料を収入源としています。つまり手数料によって成り立っているビジネスモデルなのです。よって極端なことをいうと、(広告を出稿したことによって)クライアントが儲(もう)かったかどうかは、ビジネス上は広告会社に直接は関係ありません。もちろん「関係ない」と考えている社員はほとんどいませんが、結果としてわれわれクリエイターは、クライアントの売り上げに目がいかなくなっていました。

――そのような問題意識を持つきっかけはありましたか。

 博報堂時代に、ある商品の広告を担当して売り上げ増につながらないことがありました。しかしCM自体は評価されていたんです。その後、売り上げ増につながらなかったことに対し、クライアントに謝罪に行きました。すると「三浦さんたちの制作してくれたCMは素晴らしかったです。気にしないでください」と言われました。そのとき、実はとても傷つきました。ぼくは怒られたいと思っていたし、クライアントにとってわれわれはパートナーではなく、まるで業者扱いのように感じました。同時に「広告では人が動かない」と思われたことも悔しかったです。

 そんな経験があり、広告やクリエイティブは面白いものを作るだけでなく、ビジネスを伸ばすことができるものだと証明したいと考え、会社を作りました。

The Breakthrough Company GOが手掛けた朝日新聞社「#広告しようぜ」
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