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創業以来初の「うなぎパイ」生産休止にもめげず、春華堂がコロナでつかんだ“良縁”地域経済の底力(3/5 ページ)

» 2021年08月05日 10時12分 公開
[伏見学ITmedia]

「うなぎパイの会社とやりたい」

 コロナがもたらしたプラスの変化は社内だけではない。外部とのつながりも深まった。 実は、これまで春華堂はあまり社外との連携をしてこなかった。「もともとは、全てを自分たちだけでやろうという意識がありました」と山崎社長は語る。浜松を代表する老舗企業としてのプライドもあっただろう。潮目が変わったのが数年前。ずっと閉じこもっていた殻をひと破りした。

 「五穀屋、nicoe(ニコエ)、coneri(こねり)といった新しいブランドを立ち上げた際に、外の力も借りました。それによって成功したときの喜びや、できるもののクオリティーの高さは代え難いものだと学んだのです。結果的に、それが地域や顧客にとっても良いことになればいいのではと思いました」

 そして、コロナのタイミングで一気に外向きのスピードが加速した。

 その一例が、日本航空(JAL)との協業だ。きっかけは、JALの中部地区支配人の五百旗頭(いほきべ)義高氏のうなぎパイに対する懐旧だった。

 コロナ禍でJALも大打撃を受けたことで、中部エリアの企業と連携し、新しいビジネス交流を図るべきだという案が浮上した。では、どことタッグを組むかという話になったとき、五百旗頭氏は迷わず「うなぎパイの会社とやりたい」と声を上げたという。大阪出身の五百旗頭氏は幼少期、父親が出張するたびにうなぎパイを買ってきてくれたことが、思い出として深く印象に残っていたのだった。

 ただし、それまでJALと春華堂の会社同士の接点はなかった。すると、五百旗頭氏のチームメンバーの一人が、以前「浜松パワーフード」という地元の食材をPRするイベントでつながりを持っていたことが分かり、20年4月にそろって春華堂本社にやって来たそうだ。

 ちょうど緊急事態宣言が発令されたばかりの時期で、うなぎパイの売り上げも苦しいときだったため、春華堂にとっても渡りに船だった。

 すぐに意気投合し、具体的な企画を検討する中で、コロナ禍でも活動できる農業で何かできないかとなった。一緒にサツマイモを植えて、秋に収穫し、コロナが収まったときに共同開発した商品を出しましょうと、話がまとまった。

畑で作業を行う春華堂とJALの社員(写真:春華堂提供)

 サツマイモは、うなぎの骨や頭を肥料にした「うなぎいも」という浜松のブランド野菜を使うことにした。うなぎいも協同組合に協力を仰ぎながら、両社の社員が泥だらけになって一緒に芋を植えた。

 協業はこれだけで終わらなかった。

 試作品を検討するミーティングの場で、春華堂の和菓子ブランドである五穀屋の「山むすび」をだしスープとともに食べるスタイルがJALの客室乗務員などに好評だったことを受けて、2社共同開発での商品化を決めた。国際線での機内提供を始めるとともに、「山むすび だしゆのこ」という商品名で7月から販売することにもなった。

 春華堂としても、新たな販路開拓やブランディングに結び付き、ビジネス拡大の絶好の機会となった。「コロナだからこそ生まれた付き合いだ」と山崎社長は喜びをかみ締める。

「山むすび だしゆのこ」(写真:春華堂提供)

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