交渉を始めると、自身の思いとは裏腹に、突きつけられた現実は厳しいものだった。近藤マネジャーの提案に対し、京セラの関係者は「なぜ他社のシリーズを作らないといけないのか」「うちのデザインでは不満ということか」と反発した。同社にはカシオ撤退後に築き上げた、タフネスモデルのTORQUEシリーズへの自負があった。
京セラからの反発は、近藤マネジャーの「想定の範囲内」だったという。近藤マネジャーは、SNSやKDDI独自に集めたユーザーの声を示し、反発する京セラ社員一人一人を地道に説得して回った。
その結果、徐々に理解者が増え「他社に企画を持って行かないでほしい。うちで作らせてほしい」などの声が出てくるように。企画やブランディングを手掛ける部署に比べ、設計部門では、タフネスモデルという新境地を開拓したG'zOneシリーズへのリスペクトがあったのだ。
近藤マネジャーの思いに共感する動きは他部署にも広がり、最終的に京セラが製造受託先に決まった。
製品化までにはKDDI社内でも「今更、ガラケーは無謀。成功するわけない」といった慎重論や、「過去の機種にいつまでしがみついているのか」などの厳しい意見もあった。近藤マネジャーは京セラに対して同様、ファンの声を示し、説得を続けた。
製造委託先が決まり、KDDI社内でも製品化の方針が固まる中、いよいよデザインを正式にカシオに正式依頼することになった。カシオとしてデザイン受託の経験がないため「都度法務部のチェックが入り、役員会議でも何度も議題になった」という。
携帯事業撤退後、当時のデザイナーが社内で散り散りになっており、携帯デザインの経験者を探し、再集結するのも一苦労。気が付けば、直談判した人数は50人を超えていた。
社内外の調整で困難に直面する近藤マネジャーを支えたのは、ファンの期待と自身の“カシオ愛”だった。アウトドア向け時計ブランド「PRO TREK」シリーズを愛用していたり、3万円の高級電卓を購入したりするなど、近藤マネジャー自身も大のカシオファン。「心の底では、企画者というより一ファンの目線になっていたかもしれない。それだけ復活させたいという思いが強かった」と振り返る。
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