喫茶店数は30年で半減! 「純喫茶」はこのまま絶滅してしまうのかスピン経済の歩き方(3/6 ページ)

» 2022年01月25日 09時24分 公開
[窪田順生ITmedia]

「純喫茶」を名乗りながらも

 さらに、この「カフェ界の新傾向」である純喫茶がすぐに市民権を得て広まったのかというと、そんなこともない。現代の風俗ビジネスなどもよくあるパターンだが、「純喫茶」を名乗りながらも実際はカフェーという業態もかなりあった。例えば当時、新聞の求人広告にはこんな見出しがよく出た。

 「純喫茶ポーラリス 美少女大募集 十七歳から廿歳まで」(読売新聞 1934年6月14日)

 純喫茶というものの、カオスぶりは戦後さらに加速していく。1950年に珈琲の輸入が再開してから、日本中で喫茶店が爆発的に増えていくのだが、ではそこでいきなり現在のように「ゆったりとした時間の中で、珈琲を楽しむ」ことを目的とした純喫茶が増えたのかというとそんなことはない。

(出典:ゲッティイメージズ)

 対外的には「純喫茶」や「喫茶店」をうたいながらも、実態としてはその枠に収まらない個性豊かな喫茶店が多く登場したからだ。バーがもうからないということで純喫茶に転向にして、夜は飲み屋になる「喫茶バー」や、画廊だったが珈琲を出すようになった「画廊喫茶」もあれば、音楽を延々と流す「ジャズ喫茶」、漫画をたくさん置く「漫画喫茶」もできた。その中でも1960年代に爆発的に増えたのが、若くて美しいウエイトレスがウリの「美人喫茶」である。

 これは店によっては女優やテレビタレントの卵が働き、銀座では10万円の月給をもらうウエイトレスもいた。当時のサラリーマンの初任給が1万3000円という時代である。

 こういう混沌とした状況の中で、どれが純喫茶で、どれが不純な喫茶というのはもはや誰も判別が付かなくなっていった。

 「都経済局、各保健所、所轄警察署にきいても都内の喫茶店の実態は「つかめない」という。深夜喫茶、美人喫茶、純喫茶のほか近ごろではそば屋がコーヒーを出したりする店があり、喫茶店とは、いったいなにをさすのかわからないほど店の数も種類もさまざま」(読売新聞 1963年11月13日)

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