青木さんは横浜市出身。母親がフィンランド生まれで、「今思い返すと、和室がなく、カーテンなどがカラフルな家に住んでいました」と振り返る。
最初に就職した企業の倒産などを経験し「この先どうしようか」と考えていた25歳のとき。ふと、母親の母国フィンランドへの語学留学を思いついた。「正直なところ、半分逃げもありました」。母親の母国語が話せないのはもったいないとの思いもあった。
こうして95〜00年の5年間、フィンランドに滞在することになった。そこで、自身の将来を決定づける運命的な出会いを果たすことになる。
首都ヘルシンキに隣接する第2の都市エスポ―。ここに開業したイケアのフィンランド1号店へ友人に連れられて訪れたときの衝撃は今でも忘れられないという。
「店の広さ、そして、デザインが可愛いのにとてもリーズナブル。何て楽しいお店だろうと思いました。日本に進出したら絶対にイケアで働きたいと思いました」
日本に帰国後は、求人誌を何度も開きイケアの募集を探した。いよいよ日本出店との情報を耳にした青木さんは、電話番号案内サービス(104)を使ってイケアの番号を確認し、すぐに電話した。「これから採用活動をするので少々お待ちください」と返事があった。
それから応募しては不採用――が続き、5度目の挑戦で念願の入社を果たした。このとき34歳だった。
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