ファイナンス理論においては基本の「キ」であるDCF法ですが、特に日本企業においては、投資判断のツールとして普遍的に浸透しているとは言い難いのが現状のようです。私が担当するMBAクラスの受講生にヒアリングをしても、DCF法を採択しているケースは少数でした(もちろん、会社はDCF法を採択していながらも、受講生自身がそれを知らないというケースもあるかもしれませんが)。
まだまだ多くの企業においては「損益計算書を用いて利益が出るようならOK」「決められた期間で投資が回収されるならOK」という判断を下しているようです。
ただし黒字・赤字という切り口だけでは、本当に「リスクに見合ったリターンが生まれているのか」をチェックすることができません。仮に営業利益率が10%であっても、その事業のリスクが大きく、莫大な初期投資をした場合においては、本当に「営業利益率10%」という基準が合理的な判断基準かどうかは分からないのです。
DCF法はリスクの概念を割引率に反映させているので、投資家債権者に対しても、その投資はリスクを考慮して十分なリターンが上がるかどうかを合理的に説明できるというのが一番の利点です。
しかしながら、なぜDCF法は実務において使われないのでしょうか。ヒアリングをした結果、下記のような回答が得られました。この辺りを理解することで、DCF法を組織内に浸透させるヒントが分かるかもしれません。
DCF法の概念がファイナンスを専門としない人間には分かりにくい。なぜ将来のキャッシュフローを割り引く必要があるのか? そもそも割引率とは何なのか?
→上場企業の経営を担う人にとって、株主債権者の期待値であるWACC(Weighted Average Cost of Capital:加重平均資本コスト。株主債権者が、リスクを鑑みて設定する投資に対する期待リターン)を理解することは、経営の一丁目一番地と言えます。しかし、それでもこうしたファイナンス知識を必要とする考え方は財務担当者に任せっきりにしてしまうケースも多いのかもしれません。
詳細にわたるDCFの説明に入る前に、
を理解してもらうよう、コミュニケーションを取ることが必要なのでしょう。
DCF法の前提は将来のキャッシュフローの見積もりだが、主観が多分に含まれるので、その計画自体が信頼できない
→このコメントは事業計画の意味合いを誤解している可能性が高いです。
将来を正確に予測することが事業計画の目的ではありません。将来の事なんて分かりませんし、ましてや今から新たに取り組む事業がどのような姿になるかなんて正確に言い当てることは不可能です。
それでもなぜ事業計画を立てるのか? それは、「このような前提条件のもと、このような取り組みをして、こういう実績を積み上げれば、最終的にはプロジェクト期間を通じてこのような売り上げ・利益・キャッシュフローを生み出すことができる」という定量モデルを組み立てたいからです。
この定量モデルには論理性があるので、シナリオが変化した場合のシミュレーションを可能にします。各種前提条件を変化させ、感度分析を実施することで、アウトプットとしての売り上げ・利益・キャッシュフローも変化するので、その事業における「最も重要な要素は何か」の把握が可能になります。
重要な要素が分かり、仮に下振れするストーリーが想定されるのであれば、事前に対応策を検討するなど、リスクの管理が可能です。
逆説的に言えば、事業部の「Wish」を単にテンプレートに落とし込んだ「ロジカルな前提条件を変化させてのシミュレーション」無き分析シートなどは、投資判断を行う上で何の役にも立たない代物だとも言えます。
キャッシュフローを見積もり、数値を用いて可視化すると、意思決定する人間にとってはハードルが高くなり、思う通りにビジネスができない
→本気でしょうか(笑)このあたりにその企業におけるガバナンスの現状が透けて見えるような気がします。
まずはDCFうんぬんの前に、「経営に携わる人間は、組織に関わるあらゆるステークホルダーに対して説明責任を果たす必要がある。資金提供者である株主債権者に対しても同様に、なぜその投資が合理的なのか、株主債権者に対してリターンを還元できる見通しがあるのかを、論理的に説明ができなくてはいけない」と周知徹底することが必要ですね。
DCF法そのものの理解を促進することも大切ですが、意思決定権者が株主債権者に対して説明責任を果たす必要があるという根本のところから理解をしてもらうことが大事なようです。
外資系企業に買収されたメーカーにおいて、買収過程で新たにCFOに着任した方がこんなことをおっしゃっていました。
「長年染みついた判断のやり方を一夜にして変更するのは難しい。まずは意思決定をする人間にとって、新しい方法は本当に意味があると信じられる状態にすること。そしてそのためには、CFOとしての自分が『信頼』されることが大切だ」
信頼とは、相手が自分の未来に投資をしてくれるかどうか。つまり、「あいつが言うなら間違いないだろう」と思ってもらうことです。
そのためには日々の実績を積み重ねることで「信用」を獲得していく事が重要です。一方で、信用だけでは信頼につながらない。あくまでも未来に対する投資だから、そこに対する強いコミットメントや、自分がこの会社において責任を果たすという強い思いを持つこと。そうした主体性があってこそ「信頼」は出来上がってくるのかなと思います。
どんなにファイナンスの理論武装をしても、正論を吐いたとしても、おそらく組織にDCFを定着させることは難しい。遠回りのように見えながらも、自分への「信頼」によって組織全体を変革していく。ファイナンスという専門領域にいる人間だからこそ、この基本は忘れたくないものです。
鷲巣大輔
グロービス経営大学院准教授/株式会社FP&A研究所代表取締役
一橋大学商学部卒業。米系消費財メーカーに入社後、コーポレートファイナンスからキャリアをスタートする。以後一貫してFP&A(Financial Planning & Analysis)をベースとした経営戦略策定、事業部コントロールに従事。スタートアップ企業CFO、米系消費財企業のアジア・パシフィック地区のCFOを務めた後、PEファンド投資先企業のFP&A、経営企画を担当。2021年にFP&Aの力で組織を強くすることをミッションに株式会社FP&A研究所を創立し、代表取締役を務める。2007年からグロービス経営大学院にて、コーポレートファイナンスの講義を担当する。
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