すかいらーくやロイヤルホストが、モータリゼーションの進展に合わせて、郊外のロードサイドを中心に店舗展開していったのに対して、アンナミラーズは都心部、駅前から出なかった。
また、メニューも、すかいらーくやロイヤルホストが、時流に合わせてどんどん変えていったのに対して、アンナミラーズは極めて保守的だった。ホームメードパイ、ハンバーガー、サンドイッチなど、デザートや軽食を中心としたラインアップを変えなかった。
無理をせず店舗を徐々に拡大してきたアンナミラーズだったが、バブル崩壊後の95年に、青山店が惜しくも閉店。さらには、2000年代のITバブル崩壊後は一気に閉店ラッシュとなり、00〜08年に18店が大量閉店。09年には、高輪店と横浜ランドマークタワー店の2店が残るのみとなった。
そのうちの横浜ランドマーク店も12年に閉店し、以降は高輪店がアンナミラーズの最後の砦を守ってきた。
00年代中盤から10年代初頭は、ファミレスは“冬の時代”と言われた。デフレが進行する中で、マクドナルドや「すき家」のような安価なファストフードが、ファミリー層の顧客をファミレスから奪っていった。生き残り策として、すかいらーくは低価格のガストに転換。「サイゼリヤ」は当初設定の7割引で販売する破格の価格で躍進した。
そうした価格競争の影響を、アンナミラーズも甚大に受けたと言えよう。
また、この頃はカフェブームが起こり、パイに積極的に取り組むカフェやスイーツショップも数多く登場してきた。競合店の急増で、アンナミラーズの存在感が薄れた感もあった。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング