SMBCとSBIの“似たもの提携”、見え隠れする「力技」と「したたかさ」の戦い金融業界を揺るがす可能性(3/3 ページ)

» 2022年07月31日 06時30分 公開
前のページへ 1|2|3       

ネット分野で出遅れた日興、相場捜査事件でガバナンス不全露呈

 ただ、蚊帳の外に置かれた存在は、SMBC側にもあります。グループ証券会社のSMBC日興証券(以下日興)です。

 日興といえば、古くから野村、大和と並ぶ3大証券の一角を占める名門であり、一時は米シティバンクグループの傘下にあったものの、SMBCが09年にこれを買収。グループ銀証連携戦略における証券業務の中核に据えたのでした。

photo SMBC日興証券の店舗(出典:四条繁栄会商店街振興組合公式Webサイト)

 日興は長い歴史に裏打ちされた分厚い顧客層を有しながらも、ネット分野への出遅れもあり、顧客層がやや高齢層に偏っており、若年層戦略が喫緊の課題となっていました。

 そうした中、3月に日興で19年から21年にかけての取引先株式の相場操作という不祥事が表面化し、会社と佐藤俊弘副社長はじめ6人が金融商品取引法違反(相場操作)で起訴されるという事件が発生しました。

 これは“氷山の一角”とも言われており、6月に公表された調査委員会の報告で「異常な状況」と断罪されるほどに腐った会社ぐるみの不祥事であり、昭和の「株屋」体質そのままのガバナンス不全が白日の下にさらされたのです。

photo 日興では相場操作の不祥事が発生(提供:ゲッティイメージズ)

 SMBCとしては、こんな日興にグループ証券業務の将来を託すわけにはいかない、という事情が今回の提携を急がせたと考えられ、日興は完全に「蚊帳の外」に置かれる形となりました。

想起される過去の“やらかし” 大和・日興の幻の「メガ証券」構想

 この関連でSMBCの日興関連の話で思い出されるのは、09年のグループ傘下入りの際に起きた大事件です。もともとSMBCは1999年から大和証券と資本・業務提携してグループ内証券会社に据えていました。

 ところが09年の日興買収に際して、買収後に大和・日興を合併させ、業界ガリバーである野村証券に対抗できるメガ証券をグループ内に強引に作ろうとし、大和側から提携を解消されるという失態がありました。

photo SBI創業者の北尾社長は野村証券出身(出典:同社公式Webサイト)

 旧住友から引き継がれたSMBCの、力でねじ伏せる企業風土を如実に表す出来事であったと思います。今回もまた、SBIと日興を強引にくっ付けるような荒業が出ないとも限りません。SBIの言いなりのままホールディングスに出資した裏には、そんな策略が隠れていてもおかしくないのです。

SBI・SMBC提携は一大パラダイムシフトの序章か

 このように今回の資本・業務提携は、「したたかなSBI」と「力技のSMBC」の表向き協力体制に見えるものの、その実態は“ぶつかり合い”でもありそうで、まだまだこの提携がこの先どうなるのか予断を許さない状況にあると思います。

 「蚊帳に外」に置かれたみずほ、日興の“負け組”の行方と共に、銀行、証券入り乱れて勢力地図が一気に書き換わるような「金融界の一大パラダイムシフト」の序章であるようにも思え、当面目が離せそうにありません。

著者プロフィール・大関暁夫(おおぜきあけお)

株式会社スタジオ02 代表取締役

横浜銀行に入り現場および現場指導の他、新聞記者経験もある異色の銀行マンとして活躍。全銀協出向時はいわゆるMOF担として、現メガバンクトップなどと行動を共にして政官界との調整役を務めた。銀行では企画、営業企画部門を歴任し、06年支店長職をひと区切りとして円満退社した。その後は上場ベンチャー企業役員などとして活躍。現在は金融機関、上場企業、ベンチャー企業のアドバイザリーをする傍ら、出身の有名超進学校人脈や銀行時代の官民有力人脈を駆使した情報通企業アナリストとして、メディア執筆者やコメンテーターを務めている。


前のページへ 1|2|3       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.