ないものはないで仕方ないのだが、ではブランドの裏付けをどこに求めたらいいのだろう? というところまで書いて実は結構困っている。過去にレクサスの人たちに「そもそもレクサスとは何か?」という質問をして、腹落ちする回答が帰ってきたことがないからだ。
豊田章男社長をしても「いろいろなクルマに乗った後に最後に戻って来るクルマになりたい」というところまでだ。概念としては分かるが、では製品を見て、あるいは乗って「なるほど最後にここに帰って来ればいいのだな」とは全くならない。
「レクサスはトヨタの高いヤツ」という答えが一番ハマってしまう状態では、ブランドとしてはいかんともしがたい。また困ったことに具体的なクルマのどこがどう悪いということはない。そういうところはまあそれなりに「らしい」ものになっている。
そうやって当事者たちに直接質問し、クルマにもいろいろ乗れる立場の筆者が、なんとなくでも「レクサスとはこういうもの」と説明できない状態なのだから、これを読んでいる人にそれが伝わっている可能性はないに等しいだろう。
ということで苦し紛れにボルボの話をしてみよう。ボルボは長いこと「安全」をテーマにしてきた。かつてフォードのプレミアムオートモーティブグループにブランドが所属していた時、フォードのコンポーネントを使いつつ、居並ぶほかのブランドと差別化するために、それを明確化させた。同じコンポーネンツを使って作るクルマなのだから漫然と作れば似たものになってしまう。それでは困るのだ。
しかし、今から振り返ってみると、ボルボが安全だけにこだわっている間はどうもブランドはパッとしなかった。そこに変化が起きたのは、フォード傘下を離れた時だと思う。ボルボはアイデンティティの一つであった質実剛健な野暮ったさを捨てた。そして何が何でもスタイリッシュであることを決め込んで、北欧デザインに特化していったのだ。そうやってカッコ良くなってみると、従来「安全+質実剛健」だったものが「安全+スタイリッシュ」に変わり、商品が明らかに違って見えるようになった。
というあたりを根底において見てみると、おそらくはロジカルな「安全」と感性に訴える「スタイリッシュ」さの両方を押さえたことが、ボルボの成功には大きいようにも思える。
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