9月2日、東急グループは100周年を迎えた。東急電鉄の前身、目黒蒲田電鉄が1922年に設立されてから100年になる。同社の源流となった田園都市は、18年に渋沢栄一が設立した。
東急グループは経営において、一貫性を継続することで発展してきた。企業経営において、ぶれない一貫性を持つことは重要だ。企業でなくても、組織の運営はどこもそうかもしれない。何かあると方針が大きく変わり、実際に提供されるモノやサービスもまったく違うものになり、顧客あるいは同僚などからそっぽを向かれる。
「君子は豹変する」といって大胆な変化をほめる人もいるだろうが、そのことが多くの人を戸惑わせ、迷走を感じさせ、株主どころか従業員すらも嫌気がさしてしまうこともある。
東急グループは鉄道事業を軸に、沿線開発を展開するビジネスモデルを、この100年間ずっと継続してきた。そのことが東急の企業価値を向上させただけでなく、東急沿線に住む人が増え、長年住んでいる人は東急沿線という地域に愛着を深く感じるようになった。
田園都市は郊外に緑豊かな住宅都市をつくるために、まちづくりを行う会社として創立した。目黒蒲田電鉄は、その「田園都市」のための鉄道会社として誕生し、実業家の五島慶太は入社時から専務取締役としてすご腕を振るっていた。
同氏は今ならば卓越したM&Aの能力を誇る経営者として高く評価されるだろうが、企業買収を熱心に行っていた当時は、「強盗慶太」と呼ばれていた。その企業買収によって、東急は発展していき、関東圏における沿線ビジネスの第一人者となった。
豊かで快適な暮らしを人々に提供するという渋沢栄一の考え方と、そのために必死になって事業を拡大させた五島慶太の経営方針が、今なお東急グループでは継続している。このことが、東急の強みである。
鉄道を軸にした沿線開発を、多くの私鉄が「選ばれる沿線」と言い始める前から、東急は続けてきた。それを継続してきたことで、現在の東急グループの繁栄につながっているのだ。
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