このとき、デザインを担当する松本氏から、「もしやれたらいいな、くらいで考えてもらえないか」と相談されたことを、橋浦氏は明かす。橋浦氏を中心にWeb担当、エンジン開発担当、デザイナーの4人の社員でチームを構成したが、当然ながら全員に通常業務があり忙しい。
「松本も鉄道ファンなので本人としてはやりたい気持ちがあっただろうと思いますが、やはり片手間でやるには厳しいということだったのでしょう。『コーディングの部分は私がやるから折れてくれ』と説得して、なんとかやってもらいました」(橋浦氏)
路線自体は9往復しかないため、実装自体は1日で終わり、原型ができあがるまでは早かったという。特に苦労したのが、情報収集だ。平時の業務は基本的にPCで完結するが、150年前の資料となるとそうはいかない。休日に、資料の充実した遠方の図書館まで出向くこともあったという。
細部にもこだわった。時刻の「時」を「字」と表記したのは、当時の事情を反映させたものだった。江戸時代、一時(いっとき)は日の出から日の入りまでを6等分した時間を指した。現代でいえばおよそ2時間前後ということになるが、季節によって長さに違いがあったため、鉄道運行には使えない。
このため、当時は西洋から輸入した「1時間」の概念を、これまでの基準と区別するために、「一字」と表記した。当時の気分を味わってもらうべく、こうしたこだわりについての注釈もページに載せた。
運賃も、当時の実態に即して江戸時代の「両」と、1871年に導入された「圓」を併記している。新通貨が発行されてまもない時期だったため、当時の鉄道に関する資料でもどちらの通貨も登場しているのを確認して、この方式とした。米の価格で換算し、現代の参考価格も記した。
文章の表記に関しても、担当者たちは熟考したという。当時の日本には「左から読む横書き」が存在せず、近いものでいえば「1行1文字ずつの縦書き」になるため、「右からの横書き」のように読むことになる。06年の企画では右から読む形にデザインしたが、検討の結果、「読みづらい」ということで取りやめた。「中身は明治だが、デザインはあくまで令和」ということを重んじた結果だった。
こんな試行錯誤の末に形にした企画への反響なら、確かに喜びもひとしおだろう。しかし、涙がにじむほどだったのには、別の理由があった。
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