この学歴差別を真正面から描いたのが、1983年にTBS系で放送されたドラマ『ふぞろいの林檎たち』です。ドラマは、「ちょっとだけランクの低い大学生」が就職も恋愛もうまくいかず、自分の大学を名乗ることもできず、居場所を失っていく……。そんな学歴社会が生んだ「劣等感」に多くの人たちが共感したのです。
一方で、今行われている「学歴フィルター」なるものは、差別する方にも、される方にも「生々しさ」がありません。
就活が完全にデジタル化したことでブラックボックス化し、企業は「知らぬ存ぜぬ」で簡単に否定できるし、学生の心に残るのは「落とされた」という現実だけ。学歴で差別されてる気がするけど、「差別された自分の学歴」を受け入れたくない。これが「学歴フィルターか?」と「?」マークをつける深層心理です。
そもそも昨今の就活問題の本質は、「決まらない厳しさ」ではなく、受けては落ちる、受けては落ちる、といった就活の仕組みそのものにあります。
「何十社も受けないと決まらない」のではなく、「何十社も受けるのが常識になっている」から、余計に決まらない学生を量産し、彼らを苦しめているように思えてなりません。
もちろん、受ける自由というものはあってもいいでしょう。しかし、企業側がうたう「機会平等」は社会へのアピールでしかないのです。企業側の建前によって「いくつもの会社を受けまくらなきゃ、本当に内定はもらえない」という奇妙な常識が学生の間にまかり通っているのは、明らかにおかしい。
その奇妙が常識になったのが10年ほど前です。
世界金融危機やリーマン・ショックなどの影響により景気は後退した09年、卒業予定の学生の内定が取り消されるという事態が続出しました。10年には大学卒業者の就職率は前年卒を7.6%下回る60.8%まで減少し、1948年の調査開始以来最大の下げ幅でした。
そうです。この頃から「受けて、受けて、受けまくる」が就活の常識になってしまったのです。
当時の私のメモには、以下のようなことが書かれています。
あらためて振り返ると、就活って、いったい何なんだ? と。
「数打ちゃ当たる」みたいな就活はいい加減やめた方がいいし、「どうぞ、学生!」「ぜひ、わが社に!」とめったやたらにエントリーする学生を増やすのも不毛です。
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