地銀トップの横浜銀行(以下浜銀)が同じ神奈川県の第二地銀「神奈川銀行」を完全子会社化する、との発表がありました。規模感でみれば、浜銀が預金残高ベースで40分の1程度の小規模地銀を経営統合するということ自体は大した話ではありません。しかし、金融行政の観点からはかなりニュースバリューのある出来事です。
人口減少などで地域経済の先行きが危ぶまれつつも、なかなか進まない地銀再編。さらにコロナ禍対策の「ゼロゼロ融資」の返済スタートが迫り、ゾンビ企業の倒産が相次げば、地銀経営はますます厳しさを増します。この状況下で地銀トップ行の意表を突く動きには、金融当局の思惑も見え隠れしています。
意表を突く動きと申し上げたのは、バブル崩壊以降「浜銀が神奈川銀行を吸収するのでは」という話は何度かありましたが、浜銀がかたくなにこれを固辞してきた歴史があるからです。浜銀はこれまでも神奈川銀行に対して、業務面での提携や役員はじめ幹部人材の派遣など、積極的な支援活動をしています。
ちなみに前神奈川銀行頭取で現会長の三村智之氏は、浜銀OBです。このような浜銀の支援もあり神奈川銀行の経営状態は現状特に問題はなく、浜銀サイドに経営統合するメリットもほとんどなく、むしろ統合にかかる事務コストの方が大きいのです。すなわち浜銀が神奈川銀行を統合する理由は「ない」に等しいのです。
となると神奈川銀行との統合を長年見送ってきた浜銀を動かしたのは外圧以外になく、それは監督官庁である金融庁であろうということになります。金融庁は旧大蔵省の時代から、地銀行政において地銀を一斉に動かしたいときには、まず上位行に手本を示させるという“慣例”を持っています。
私が旧大蔵省に出入りしていた1990年代にも、何かあると「横浜さんが手本を示してほしい」が官僚たちの口癖でもありました。「浜銀が動いてくれれば、腰の重い保守的な地銀各行に対しても『トップ行ですら動いたのだから、おたくも具体策を検討しなさい』という指導がしやすくなる」と当時の官僚らは言っていました。
過去にも浜銀に手本を示させた、地銀改革事例がありました。地銀経営の先行きが不安視されはじめた2014年1月、畑中龍太郎金融庁長官(当時)は地銀協加盟64行の頭取が集まる例会の席上で、「経営統合を経営課題として考えてもらいたい」とぶち上げました。
ところが、当時の保守的で各地のお殿様的プライドが半端ない地銀経営者たちは、「うちは関係ない」とタカをくくって微動だにしなかったのです。そこで金融庁はトップ行に手本を示させるべく、旧大蔵OBの寺澤辰麿氏が頭取を務めていた浜銀を動かし、同じく大蔵OBがトップに座っていた第二地銀の東日本銀行との経営統合を成立させたのです。
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