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金融グループ初の女性CEO誕生の裏側 マネックス松本大からいかにしてバトンを受け取ったのか対談企画「CEOの意志」(1/2 ページ)

» 2023年09月21日 08時10分 公開
[田中圭太郎ITmedia]

連載:対談企画「CEOの意志」

上場後のスタートアップの資金調達や成長支援を行うグロース・キャピタルの嶺井政人CEOが、現在活躍するCEOと対談。その企業の成長の歴史や、CEOに求められることを探る。

 今回対談したのは、マネックスグループの清明祐子CEOだ。6月に、女性として初めて金融グループのトップに就任した。創業者でありカリスマ的な存在だった松本大氏(現在は取締役会議長兼代表執行役会長)から、どのようにグループを引き継いだのか。サクセッションの裏側に迫る。

グロース・キャピタルの嶺井政人CEO(左)とマネックスグループの清明祐子CEO(以下撮影:石橋雅人)

 マネックスグループは日本、米国、香港にリテール向けのオンライン証券ビジネスの本拠地を持つなど、グローバルに事業を展開している東証プライム上場企業だ。ネット証券会社のマネックス証券や暗号資産取引所の運営と新しい金融サービスの研究開発をしているコインチェック、さらには投資事業や教育事業などを手掛ける多数の企業を傘下に持つ。

 そのマネックスグループのトップが6月に、初めて交代した。取締役兼代表執行役社長(CEO)に就任したのは清明祐子氏(46)。2019年4月からマネックス証券代表取締役社長を務めてきた。金融グループの女性CEOが誕生したのは初めてで、創業者としてグループを率いてきた現代表執行役会長の松本大氏(59)の後継者に指名された形だ。

 マネックスは松本氏が1999年にソニーとの共同出資で設立し、一代で築き上げてきた。いわゆるカリスマ創業者からの後継はたやすいことではない。世代交代によって清明CEOが誕生した裏側を聞いた。

清明祐子(せいめい・ゆうこ)マネックスグループ取締役兼代表執行役社長CEO。2001年4月株式会社三和銀行(現・株式会社三菱UFJ銀行)入行、06年12月に株式会社MKSパートナーズに転じ、09年2月にマネックス・ハンブレクト株式会社(17年マネックス証券と統合)入社。11年6月マネックス・ハンブレクト株式会社代表取締役社長を経て、13年3月マネックスグループ執行役員、16年6月執行役、19年4月マネックス証券株式会社代表取締役社長に就任。マネックスグループで21年取締役、22年4月取締役兼代表執行役を経て、23年6月より現職

マネックスグループでM&A部門を担当

嶺井: 清明CEOは、19年にマネックス証券の社長に就任して、23年6月にマネックスグループのCEOに就任されました。最初は銀行に入行して、09年にグループの子会社に入社されて、そこで社長に就任されていますね。

清明: 子会社の社長に就任したのは33歳のときでした。M&Aのアドバイザリーをしていた会社です。私は松本に憧れてマネックスに入社したわけではないんですよ(笑)。リーマンショックの後に職を探していて、たまたま入社しました。松本に採用面接をしてもらったと思いますが、覚えていないですね。

嶺井: 入社当時は、松本大さんの近くで仕事をしていたわけではないのですね。そこから、どのような流れでバトンタッチが行われてきたのでしょうか。

清明: 私は全く気付いていませんでしたが、聞くところによると松本自身は10年くらい前からサクセッションを考えていたそうです。私は13年にマネックスグループのM&Aを担当する執行役員になり、16年に執行役に就任しました。私自身は「子会社で活躍していた亜流の人間をちょっと本体に連れてこよう」といった軽い気持ちで引き上げられたのかと思っていました。

嶺井: もともとはM&Aの業務が中心だったのですか。

清明: M&Aの仕事が長いですね。銀行のときも退職する直前はM&Aのファイナンスに関する仕事をしていて、その後は投資ファンドでM&Aに携わっていました。マネックスグループに参画したのも、M&Aアドバイザーとしてでした。

 マネックスグループはM&Aで大きくなってきた会社です。1999年に松本ら4人で始めた会社が、米国の会社や香港の会社、他にも規模の小さな会社を買収してきました。私はそのうち1つの子会社でお客さまのM&Aを手伝っていたところ、グループの成長のためのM&Aを任された形です。以後は自社のM&Aに携わってきました。

コインチェックの買収を2週間で決断

嶺井: マネックスグループによる買収で注目されたのがコインチェックですよね。暗号資産取引所を運営していたコインチェックは、2018年1月に大規模なハッキング攻撃を受けて危機的な状況でした。その3カ月後の4月に買収しています。まさに「火中の栗を拾う」ようなM&Aだったと思いますが、清明CEOはコインチェックの買収に携わっていたわけですよね。

清明: コインチェックの買収は、松本と二人三脚で進めました。後にも先にもない、異質なM&Aだったと思います。

嶺井: M&A後のPMIも順調に進み、その後高い業績も出されました。けれども、あのときに買収を決断するのは、容易なことではなかったのではないでしょうか。

清明: 決断したこともそうですし、決断する前のスピードも尋常ではありませんでした。3月中旬に話が入ってきて、そこから検討して、買収を発表したのが4月6日です。わずか2週間で決めました。

 コインチェックの状況は当時大きな話題になっていて、ハッキングを受けたことをどう考えるのか、グループ内にもリスクが及ばないのかなど、2週間の短い期間で何度も取締役会を開いて議論しました。そのようなリスク分析と併せて大事だったのが、一緒になって何をやっていくのかという議論でした。

嶺井: 具体的にはどのような議論をしたのでしょうか。

清明: 当社は買収前年の17年秋に、新しいビジョンの「第2の創業」を掲げていました。当時はブロックチェーンやAIなどの新しい技術がビジネスになりつつあった頃です。よくよく考えてみると、オンライン証券という産業は、インターネットがなければ生まれていないですよね。ブロックチェーンやAIも、金融だけではなく世の中を変えるだろうと考えて、新しい技術の活用に取り組んでいこうというビジョンです。

 当時、ブロックチェーン技術でマネタイズできていたサービスは仮想通貨交換所だけでした。仮想通貨は当時の呼び方で、今は暗号資産ですよね。私たちは交換所でたくさんもうけようと思ったのではなくて、ブロックチェーン技術を使って何か新しいものを作っていきたいと考えました。このゴールを一緒に見られる相手がコインチェックでした。だからこそ、短期間で決定ができたと思います。

嶺井: 買収した後も、当然ながら壁が幾つもあったと思います。特に大変だったのはどのようなことですか。

清明: 今でこそ暗号資産は当たり前になっていますが、当時は世の中からの懐疑的な視線が強かったですね。マネックス証券をリスクにさらすのか、といった声もお客さまから上がっていました。

 そのような雰囲気から、買収後に金融庁による規制が整理されて、届出登録が必要になりました。そのためにガバナンス体制を構築する際、スタートアップの企業に金融のガバナンスを入れることにコインチェック側も戸惑ったと思います。

 それでもライセンスを取らなければ売り上げはゼロですから、押し付けるのではなく、私たちが持っているノウハウをコインチェックの皆さんに丁寧に伝えましたね。さまざまな葛藤がありながらも、期待に応えようと取り組んで、19年1月には登録事業者に認定されました。

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