24年閉館「五反田TOC」はどう変わる? 世にも珍しい“巨大卸売ビル”の過去と未来東京ドーム4個分(1/3 ページ)

» 2023年11月09日 07時00分 公開

 半世紀にわたり、五反田エリアのランドマークとして親しまれてきた「TOCビル」(テーオーシービル・東京卸売センタービル)が、建て替え・再開発のため2024年中に閉館する。

 TOCビルは東京でも珍しい「卸売店を中核としたテナントビル」という特徴もさることながら、地上東京ドームに換算すると約4個分にも匹敵するという延床面積(約17万4013平方メートル)にも驚かされる。

 高度経済成長期、この地にこれほどまでに大きな建物が生まれ、そして「卸売店を中核としたテナントビル」となったのには、どういった背景があったのだろうか。

2024年中に閉館予定のTOCビル。半世紀にわたって五反田のランドマークとして親しまれた(写真:都市商業研究所、以下同)

著者紹介:若杉優貴(わかすぎ ゆうき)/都市商業研究所

都市商業ライター。大分県別府市出身。

熊本大学・広島大学大学院を経て、久留米大学大学院在籍時にまちづくり・商業研究団体「都市商業研究所」に参画。

大型店や商店街でのトレンドを中心に、台湾・アニメ・アイドルなど多様な分野での執筆を行いつつ2021年に博士学位取得。専攻は商業地理学、趣味は地方百貨店と商店街めぐり。

アイコンの似顔絵は歌手・アーティストの三原海さんに描いていただきました。


TOCを生んだ2人の著名な人物とは?

 TOCビルが生まれたのは1970年3月。駅から少し離れているとはいえ、「高度経済成長期の五反田でどうしてこれほど広い土地が確保できたのか」と疑問に思う人もいるかもしれない。実はこの場所はもともと「星製薬」という製薬会社の本社工場跡だった。

 星製薬は1911年に実業家の星一が創業。製薬業を中核としてドラッグストアチェーンの先駆けとなる「ホシ連鎖店」を立ち上げたほか、1922年には現在の星薬科大学を設立するなど、戦前は大手企業として知られた。戦後になると社長は二代目の星親一に引き継がれたが、その時代には経営難に。アマチュア作家だった星親一は1952年に会社を売却し、「新一」のペンネームで執筆に専念することを決意した。こうして生まれたのが、のちにショートショートの神様として名を馳せるSF作家「星新一」だ。

 星製薬の売却後、経営再建の重責を担うことになったのは、大相撲力士から財閥経営者へと上り詰めた大谷米太郎であった。

 大谷米太郎は力士引退後に酒類販売店を創業。国技館出入り業者として成功し、その資金で鉄鋼業に転身。鉄鋼業で財を成したのち、戦後は星製薬を買収したほか「ホテルニューオータニ」を創業するなど、異色の経歴を持つ起業家だった。

TOCエントランスで来館者を見守る大谷米太郎の胸像

 大谷米太郎が星製薬再建の切り札としたのが、都心に近い星製薬本社工場の再開発だった。星製薬は1967年に本社工場を神奈川県厚木市に移転。跡地の再開発によって13階建て・地下3階の大型テナントビル「TOCビル」が生まれるに至ったのだ。

 もし、戦後も星製薬の経営が安定していたならば、「SFの巨匠・星新一」「東京最大の卸売ビル・TOCビル」は、どちらともこの世に存在しなかったかもしれない。

 こうして経営再建に成功した星製薬の現法人はTOCの子会社となっており、21世紀になった現在も胃腸薬などの製造を続けている。

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