モノレール登場から200年、なぜ広まらなかったのか LRTにも共通する課題(2/5 ページ)

» 2024年12月10日 08時00分 公開
[森川天喜ITmedia]

海外技術の導入

 こうした中、1957年12月に運行が始まったのが上野動物園モノレール(正式名「上野懸垂線」)だった。同モノレールは、将来の都市交通の実験線という位置付けだったものの、地方鉄道法に基づく「鉄道路線」として最初に建設されたモノレールだった(それ以前のものは「遊戯物」扱い)。ヴッパータールのランゲン式をモデルとしつつ、騒音低減の観点からゴムタイヤを採用するなどの改良を加えたこのモノレールは「上野式」と呼ばれた。

 だが当時、海外ではより近代的な技術を活用したモノレールの研究が進められており、それらが間もなく日本にも輸入されることになる。その一つが、後に東京モノレールに導入された西ドイツ(当時)のアルヴェーグ式モノレールであり、コンクリート製の桁(けた=レール)に跨がり、ゴムタイヤで走行する方式である。日本では日立製作所が技術提携した。

アルヴェーグ式の東京モノレール(筆者撮影)

 これよりやや遅れて日本に入ってきたのが、フランスのサフェージュ式モノレールで、パリ地下鉄で実用化済みのゴムタイヤ車両を応用した設計に特徴があった。サフェージュ式は三菱グループが中心となり、後に湘南モノレール、千葉都市モノレールなどで実用化された。

サフェージュ式の湘南モノレール(筆者撮影)

 さらに、米国の航空機製造大手ロッキード社が開発した、「鉄車輪式」のロッキード式モノレールも登場した。

 こうして順調に導入が進むかに思われたモノレールだったが、不運な出来事が続いた。まず、1964年9月に開業した東京モノレールが極度の経営不振に陥ったのだ。建設費が当初予定を大幅に超過したことや民間金融機関からの高金利の融資の返済のため、浜松町-羽田間の運賃を250円(国電と京急バス利用が55円)と高額に設定せざるを得ず、利用者が伸び悩んだのだ。

 また、ロッキード式を採用して1966年5月に開業した姫路モノレール(姫路駅-手柄山間1.8キロ)も、姫路大博覧会が開催された開業初年度こそ年間40万2967人の利用者があったが、1967年度は33万4517人、1968年度は24万5718人と落ち込み、当初想定された年間100万人には遠く届かなかった。建設借入金の返済のために毎年1億円以上を市の一般会計から支払わなければならず、姫路市の「お荷物」といわれるようになった。

 さらに、同じく1966年5月に開業した横浜ドリームランドモノレール(アルヴェーグ式を改良した東芝式)は、車両設計の不備などから、開業後わずか1年半で運行休止に追い込まれた。

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