現地製造のSAKEが世界化を進めていく上では、3つの段階があると考えると分かりやすいです。
第1段階は、海外に出た日本人が自身のために造り、日本人だけが飲むSAKE。
第2段階は、海外に出た日本の大手蔵が、日本人と日本食レストランのために造り、日本人と現地の人が楽しむSAKE。
第3段階は、現地の人が地元のために造り、現地の人と楽しむSAKEで、これがいよいよローカルに根づき、本当の意味で「世界酒」になった状態です。
この3つの段階を、アメリカを例にとり、具体的に見ていきます。
前項で説明をしたハワイのホノルル日本醸造会社がまさにこの例で、日本人の需要に応える形で設立しました。
なお、アメリカで正式な許可を得て設立された初のSAKE醸造所は、1901年に設立したジャパン・ブリューイング(日本醸造会社)で、サンフランシスコのバークレーにありました。実は、ホノルル日本醸造会社よりも少し早い時期に設立され、この頃のカリフォルニアには数社のSAKE醸造が存在していました。
しかし、禁酒法と第二次世界大戦の2つの動乱期により閉鎖を余儀なくされました。
太平洋戦争中に閉鎖された米西海岸の日本酒醸造所の一部は、戦後に復活しましたが、2、3世代目の飲み手の減少によりすべて廃業しました。しかし、1980年前後にSAKEの生産は再び復活することになります。
その背景には日本食ブームがありました。というのも、アメリカ国内では肥満や成人病が問題化し、健康的な日本人の食生活が注目されたのです。
そこで輸出先として日本の営業マンが次々と渡米し、消費量が増えるものの、大手メーカーは1973年以来円高が進んだことで、下手すると赤字になる可能性がありました。
そこで、思い切って現地製造に踏み切ったのです。口火を切ったのは大関(兵庫県)で、1979年にOzeki Sake(U・S・A)を設立しました。その後、宝酒造(京都府)、月桂冠(京都府)、八重垣(兵庫県)と続きます。場所はいずれもカリフォルニアです。
なぜカリフォルニアかというと、そこが米の生産地だったからです。カリフォルニア州で生産されていた米は「カルローズ」と呼びます。カルローズは「カリフォルニアのバラ」という意味で、日系移民たちが持ち込んだ米を、カリフォルニアの環境に合わせて改良を重ねて生み出した品種です。
実はカルローズの祖先は最高級の酒米「山田錦」の親種「渡船(わたりぶね)」から生み出された品種で、酒づくりにも適しています。「カリフォルニア米はパラパラしている」という話を聞きますが、それもそのはずで、酒米の特性を持っているからです。カリフォルニア州では生産する米の90%がカルローズなので、潤沢に「酒米」があります。
日本からアメリカへ旅だった米の名前が「渡船」というのはロマンを感じさせます。
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