南米にも多くの日本人移民が渡り、例えばブラジルへの移民は1908年に始まりました。1920年ごろには個人で「どぶろく」などを醸造していましたが、企業として初めてブラジルでSAKEを造ったのは1935年に創業した「東山農産加工」でした。
この企業は、三菱の創始者である岩崎弥太郎の個人出資により設立されました。なお、「東山」はヒガシヤマではなくトーザンと読み、岩崎の屋号から由来します。
東山農産加工はサンパウロに近いカンピーナスの地にて、冷房付き醸造所で「東麒麟(あずまきりん)」というブランドで製造を始めました。「東麒麟」はポルトガル語のミリン(小さい)に通じる「キリン」と東山を合わせた名称です。
1975年に同じ三菱グループのキリンビールが出資し、1975〜1976年にホノルル酒造の副社長で技術者の二瓶孝夫氏が指導を行いました。その後、キリンがキッコーマンに株式譲渡をしたことで「東麟麟」から「東(AZUMA)」に名前が変わりましたが、一部の日系のレストランでは「東」の生酒が飲めるということで、ブラジル国内でも支持されています。
このように、ハワイでの酒づくりから始まり、北米や南米、そして世界各地に広がったSAKEのグローバル化は、移民たちの努力と情熱によって切り拓かれたのです。
日本酒アイス、台湾でヒット 1カップ800円するのに2年で輸出額5倍に、なぜ?
「サンマが食べられなくなる」は本当か よく言われる要因は3つ
AIで、旬の魚に合う「日本酒」造り 職人の勘を超える発見も
「紀土」を一流ブランドに押し上げた平和酒造 “最適解”でない渋谷で酒イベントを開催する理由Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング