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高機能なのになぜ売れない? 「界隈消費」はマーケティング戦略をどう変えてしまうのかがっかりしないDX 小売業の新時代

» 2025年05月09日 07時00分 公開
[郡司昇ITmedia]

連載:がっかりしないDX 小売業の新時代

デジタル技術を用いて業務改善を目指すDXの必要性が叫ばれて久しい。しかし、ちまたには、形ばかりの残念なDX「がっかりDX」であふれている。とりわけ、人手不足が深刻な小売業でDXを成功させるには、どうすればいいのか。長年、小売業のDX支援を手掛けてきた郡司昇氏が解説する。

 生活者の購買行動はここ数年で大きく変化しています。「みんなが買っているから」「テレビCMで見たから」といった従来型の購買動機は薄れ、代わりに「自分の所属するコミュニティで評価されているから」「自分の価値観に合致するから」という理由で商品を選ぶ傾向が強まっています。

 この現象は「界隈消費」と呼ばれ、マーケティング戦略の大きな転換点となりつつあります。どれだけ機能性に優れていても、見向きもされない商品が出てくるのはなぜなのか――。「界隈消費」の本質を探ると、その理由が見えてきます。

「界隈消費」はマーケティング戦略をどう変えてしまうのか。写真はイメージ(ゲッティイメージズ)

著者プロフィール:郡司昇(ぐんじ・のぼる)

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20代で株式会社を作りドラッグストア経営。大手ココカラファインでドラッグストア・保険調剤薬局の販社統合プロジェクト後、EC事業会社社長として事業の黒字化を達成。同時に、全社顧客戦略であるマーケティング戦略を策定・実行。

現職は小売業のDXにおいての小売業・IT企業双方のアドバイザーとして、顧客体験向上による収益向上を支援。「日本オムニチャネル協会」顧客体験(CX)部会リーダーなどを兼務する。

公式Webサイト:小売業へのIT活用アドバイザー 店舗のICT活用研究所 郡司昇

公式X:@otc_tyouzai、著書:『小売業の本質: 小売業5.0

界隈とは?

 「界隈」とは本来、「周辺」「近所」を意味する言葉ですが、現代では「共通の関心や価値観を持つ人々のコミュニティ」という意味で使われることが増えています。

 例えば、ポイントサイトやアプリ、キャッシュレス決済など、お得な情報を日々交換し合う主婦のコミュニティは「ポイ活界隈」ですし、話題のカフェやスイーツ店を巡り、写真やレビューをSNSで投稿し合う若い女性たちのグループは「カフェ巡り界隈」です。

 界隈の特徴は、その内部で独自の言語や文化、評価基準が形成される点です。例えば「サウナ界隈」では「ととのう」という表現が一般的ですが、この言葉はサウナに入った後の特別な心身状態を表す界隈特有の言葉です。界隈内ではこうした共通言語が理解され、それが所属意識や一体感を強めています。

人がコンテンツを探す時代から、コンテンツが人を探す時代に

 SNSは現代社会において情報収集や購買行動の起点として不可欠な存在となっています。特に18歳から25歳の若者の間では、9割以上がSNSをきっかけに購買した経験があるという調査もあります。

 この背景には、生活者の情報処理方法の変化があります。少し前までは特定のコンテンツを見るために、インフルエンサー名などで検索してYouTubeを視聴していたのが、現在は「流れてきたコンテンツを見る」という受動的な情報摂取へと急速に変わってきています。

 TikTokに代表されるアルゴリズム型フィードの普及により、見るコンテンツが個人ごとに全く違うものになっています。アルゴリズム型フィードとは、AIが各ユーザーの行動データを分析し、個人に最適化されたコンテンツを自動表示するシステムです。

 TikTokでは、視聴時間や「いいね」、コメント、シェアなどの反応から好みを学習し、膨大なコンテンツの中から関心を引きそうな動画を選び出します。従来のSNSがフォローしたアカウントの投稿を時系列で表示するのに対し、アルゴリズム型は能動的な検索が不要で、ユーザーの興味関心に合わせて表示内容が自動調整されます。

 そのため、ドラマ好きの佐藤さんとアウトドア好きの田中さんは、同世代・同性別でも全く異なる体験をすることになります。人がコンテンツを探す時代から、コンテンツが人を探す時代になっているともいえるでしょう。

 なお、TikTokは、OpenAIのAIモデルを利用するために、毎月約2000万ドル(日本円で約30億円)を支払っています(2024年3月時点の情報)。この支払いは、MicrosoftのAI関連クラウド収益の約25%を占めるほど大きな規模だと米メディアは報じています。アルゴリズム型フィードを実現する仕組みの費用の一部に毎月30億ドル使って収益を出せる企業が出てくる時代になったのです。

 日本では未搭載の機能ですが、TikTokアプリ内で直接商品を購入できるEC機能であるTikTok Shopは2024年、グローバルで流通取引総額(GMV)が約332億ドルに達し、前年比で2倍以上の成長を遂げました。特に米国市場は2023年9月の本格展開からわずか16カ月で最大市場となり、前年比650%の急成長を記録しました。

 今後はフランス、イタリア、ドイツ、メキシコ、日本など新規市場への拡大も見込まれています。日本で機能搭載されると、日本のEC市場も大きく変動することが予想されます。

「推し活」が広げる界隈の影響力

 近年注目を集めている「推し活」も界隈消費と深く関連しています。「推し活」とは、自分の「推し」(アイドル、アーティスト、キャラクターなど)を応援する活動全般を指します。推し活界隈では、応援グッズの購入から聖地巡礼、SNSでの情報拡散まで、さまざまな消費行動が見られます。

 特徴的なのは、推し活界隈のなかでの情報共有の速さと濃密さです。新商品の発売情報やコラボイベントの告知は瞬く間に界隈内に広まり、メンバー間で購入を促し合う相互作用が生まれます。また、非公式のファングッズ制作など、生活者が生産者として活動することも珍しくありません。

 サンリオ 顧客体験プラットフォーム戦略推進担当の田口歩氏は、個人的意見と断ったうえで「推し活とは対象を推す行為だけでなく、推し活そのものを楽しむ行為のようにも見える」と話しています。つまり、商品購入も体験の一部と捉えられており、同じ対象への推し活をしている界隈仲間との共同意識も体験消費の動機になっているというのです。

 この視点から見ると、キャラクターグッズを持つという行為は、その界隈への帰属意識を芽生えさせる象徴的な意味を持ちます。それは必ずしも「推し活」と呼べるほど積極的な活動ではなくても、界隈内のアイデンティティーとして機能していると考えられます。

多様化する商品の評価軸

 こうした変化の結果、商品の評価軸も多様化しています。例えば洗剤を選ぶ基準は、従来は「白くする効果」などの機能性が重視されていましたが、現在は「韓国で人気」「香りがいい」「環境に優しい」など、さまざまな評価軸が生まれています。

 「推し」が使っているという事実だけで爆発的に売れる商品がある一方、機能的に優れていても界隈での評価が低ければ見向きもされない商品もあります。特に若年層では、SNSでの評判や界隈内での位置付けが購買決定の大きな要因となっています。

 特定の界隈で「マストアイテム」と呼ばれる商品は、その界隈に所属する人々にとっては持っていて当然という認識が生まれ、所属意識を高めるアイテムとして機能します。こうした商品は、機能的価値より社会的価値や情緒的価値が重視される傾向にあります。

インフルエンサーの存在の重要性

 多くの生活者は複数の界隈に同時に所属しており、界隈間の情報伝播を促進しています。例えば、「韓国コスメ界隈」に所属する人が同時に「温泉界隈」にも所属していることで、両方の価値観を満たす商品が注目を集めることがあります。

 この複数所属の特性を理解することは、効果的なマーケティング戦略を立てる上で重要です。ある界隈で評価を獲得した商品が、別の界隈にも広がる可能性を見極め、複数の界隈に共通する価値観に訴求することで、より広範な支持を獲得できます。

 また、界隈間の橋渡し役となるインフルエンサーの存在も重要です。複数の界隈で影響力を持つ発信者は、商品情報の界隈間伝播を加速させる触媒として機能します。こうした発信者と協働することで、限られたマーケティング予算でも効率的に多様な界隈にアプローチすることが可能になります。

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