「賞与の給与化」広がる背景 企業・従業員双方の“うまみ”とは古田拓也「今更聞けないお金とビジネス」

» 2025年08月25日 07時00分 公開
[古田拓也ITmedia]

筆者プロフィール:古田拓也 カンバンクラウドCEO

1級FP技能士・FP技能士センター正会員。中央大学卒業後、フィンテックベンチャーにて証券会社の設立や事業会社向けサービス構築を手がけたのち、2022年4月に広告枠のマーケットプレイスを展開するカンバンクラウド株式会社を設立。CEOとしてビジネスモデル構築や財務等を手がける。Xはこちら


 ソニーグループが2025年度から冬の賞与を廃止し、その分を月例給与に振り替える制度を導入したことが注目されている。

 従業員にとっては月々の収入が安定する一方、成果連動の色合いが弱まり、働く意欲を損なうのではないかという懸念も出ている。だが同様の制度変更は大手各社にも広がりを見せており、「賞与の給与化」は日本社会において新しい潮流となりつつある。

 なぜなのか? 企業と従業員それぞれのメリットを解説する。

背景にある“市場の現実”

 「賞与の給与化」の背景には、採用市場の現実がある。統計や求人に示される「月給」には賞与が含まれない。

 また、近年は新卒の初任給が30万円を超える例も散見される。月例給と賞与を分けたままで、賞与の比率が高い企業は、初任給だけで比較すると相対的に低賃金に見えやすい。

 新卒・中途を問わず人材の獲得競争が激化する中、月給ベースで高い金額を提示することが大きなアドバンテージになっているわけだ。

 今回取り上げたソニーは、新卒初任給も最大4万8000円引き上げていた。1万円のベースアップを含み、残りの3万8000円の部分の多くは賞与を月給化した効果であるという。これについては「朝三暮四ではないか」という懸念の声もみられる。

 しかし、業績などによって変動が激しくなる賞与と比べて、月給は労働基準法の観点から不支給はもちろん、安易に減額することもできない。

 収入から家賃・住宅ローンの支払いや毎月の生活費を逆算する上で、賞与の月給化は従業員に有利な制度変更であるともいえる。

 余談ではあるが近年、社宅制度や財形貯蓄などの福利厚生を簡素なものにする代わりに、月給にその分を付け替える動きが見られる。特に、社宅制度は従業員の家賃負荷が半減するだけでなく、社会保険料や所得税の軽減効果もある。見た目の月給こそ低く見えるが、可処分所得は大幅に増えるわけだ。

 しかし、このような福利厚生のデメリットは、そのような従業員還元が平均月給にも平均年収にも加味されないことにあるだろう。

 求人サイトでは月給や賞与を含めた年収でスクリーニングがかけられる。見た目の給与が見劣りするだけで、企業側は不利になりやすい。これを加味すると、上記で検討した賞与はもちろん、福利厚生についても月給に寄せる動きが顕著になると予想される。

社会保険料も有利になるケースが?

photo 「賞与の給与化」の潮流は、社会保険制度と関係がある(提供:ゲッティイメージズ)

 「賞与の給与化」を巡っては、社会保険制度との関係も無視できない。

 「賞与を給与に振り替えれば社会保険料が有利になる」という見方もある。賞与をカットして月給部分を厚くすれば、標準報酬月額の等級が上限に達することで、毎月の保険料を抑えられるというのがその論旨だ。

 しかし現在における標準報酬月額の上限は65万円(健保組合によっては70万円程度)に設定されており、この月給が上限を超える層にしか意味を持たない。

 ちなみに、有価証券報告書によればソニーグループの平均年収は1118万円であるという。転職サイト各社の情報から、賞与の割合が年収の3割であると仮定すると、年間の賞与は賞与は約302万円程度であると推定される。この時、月給は約73万円であるため、標準報酬月額の上限である65万円を超えているが、賞与には別途社会保険料が課せられる。

 賞与を月給に切り替えるとどうなるか。

 この時、月給は約98万円となり、社会保険料は上限のまま変わらない。しかし、ボーナスにかかっていた社会保険料は月給に寄せられるため課されなくなる。これにより、本人負担分と会社負担分の両面で社会保険料負担が軽減されることになるのだ。

 しかし年収800万円までの所得層では賞与を月給に寄せたとしても標準報酬月額の上限に届かないか、わずかに上回る程度だ。賞与化の効果はほとんどないといってよいだろう。

 社会保険料の観点でもメリットがあるのは、ソニーの中でも40代以上の高給層に限られるのが実態というわけだ。それ以外の労働者や企業にとっては社会保険料の軽減効果を期待することはできないため注意が必要なのである。

「賞与の月給化」を政府は見逃さない?

 日本企業はこれまで、社会保険制度や税制の隙間を突く形で報酬設計を調整してきた。賞与偏重から給与寄せへ、給与寄せから福利厚生重視へと振り子のように揺れ動いている。

 かつて日本企業が賞与依存を強めたのは、賞与が長らく社会保険料の対象外だったからだ。給与を抑え、賞与を厚くすることで企業と従業員双方にとって手取りの最大化を図れた。

 しかしその後、政府は制度を改正し、賞与も社会保険料の対象とした。すると企業は再び給与の比率を高める方向に動き、現在に至る。

 今後は「給与に寄せる流れ」が広がるにつれ、政府も対策を打つだろう。現に、厚生労働省は2029年までに標準報酬月額の上限を75万円まで段階的に引き上げる予定であり、社会保険料の“取りこぼし”を見逃さない姿勢を示している。

 その結果、企業は昔のように「福利厚生」など、年収ベースに反映されない従業員への還元に回帰する可能性がある。

 税や社会保険の制度が変われば、人件費の最適な配分は変わる。歴史的に見ても、企業と政府は「制度改正」と「給与・賞与・福利厚生の配分変更」の応酬を繰り返してきた。今回の「賞与の給与化」もそのサイクルの一局面であると見るべきだ。

 今後も制度変更に応じて企業の対応は変化していくだろうし、未来永劫有利となる報酬モデルは存在しない。重要なのは、報酬制度の目的を「従業員還元の最大化」として捉えることだ。

 社会保険料の上限引き上げや福利厚生重視への揺り戻しは時間の問題だが、そのたびに硬直的に対応するのではなく、柔軟に制度を組み替えられる組織文化を築くことが求められる。

 結局のところ、勝敗を分けるのは「制度の巧拙」ではなく、変化に応じて報酬体系を素早く見直せる機動力である。給与か賞与か、福利厚生か。どの手法が有効であるかは時代ごとに変わる。企業に問われているのは、変化のサイクルを前提とした組織作りにほかならない。

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