2人に1人が発症するがんは企業にとって「稀な出来事」ではなく、組織運営に直結する経営テーマだ。がん告知を受けても、治療技術の進歩によって多くの現役世代が職場に戻る一方、無意識の偏見や制度不備により、がん発覚時点での退職がなお多い現実がある。
がん罹患者は50代以上の管理職層、ベテラン層が多く、病気を理由にした退職は企業にとって大きな損失となる。がんをはじめ、多くの病が治療できるようになってきている現代、企業は従業員の疾患に対し何を備え、どう設計すべきなのか。
池袋西口公園野外劇場とサンシャインシティ噴水広場で9月6日(土)、7日(日)、13日(土)、14日(日)の4日間にわたって実施するチャリティーライブ「Remember Girl’s Power!!」(通称オンコロライブ)では、がん啓発を続ける元フジテレビアナウンサーの笠井信輔さんが総合司会を務める。
自身も、がんステージ4を経験して復帰した笠井さんに、企業の制度設計の在り方などを聞いた。
――笠井アナががんを告知されたのは、フリーになってわずか2カ月後のことでした。当時もしフジテレビに在籍していれば、会社からの手厚い保証もあったと思います。企業は病気の社員と、どう向き合うべきだとお考えですか。
それは「健康経営」という観点で、今の企業にとって非常に重要な経営要素だと思います。2人に1人はがんになる。男性だけなら65%以上、つまり3人に2人が一生のうちにがんを経験する。これは会社という組織に目を向ければ、極めて高い確率で従業員の中からがん患者が出ることになるわけです。しかも年齢が高いほどがんにかかりやすいので、つまりは熟練したベテラン層が発症するケースが多い。今の採用難の中で、優秀な人材を失ったら簡単には補えないんです。
実際の医療データを見ても、毎年約40万人ががんで亡くなる一方、60万人は治療を受けて戻ってきている。亡くなる方の多くは高齢で体力的に厳しい場合が多く、現役世代は治療後も復帰できるケースが圧倒的に多いんです。
私自身、ステージ4の悪性リンパ腫でしたが、このように回復して働くことができています。にもかかわらず日本社会では「がんになったら会社にいられない」というアンコンシャス・バイアス、無意識の偏見がまだ根強くあります。「無理しなくていい」と言われ、結果的に担当を外される。あるいは「辞めてもいいよ」と事実上、退職を迫られる。これは最大の問題です。それが、差別的な扱いだけでなく、優しさからくる“排除”にもなってしまうから厄介なんです。
――日本では「退職」を選ぶケースが非常に多いわけですね。
実際の調査でも、働いていたがんサバイバーのうち4割近くが退職しているというデータがあります。私自身もがんと診断された後、当時の官房長官に「がんでの退職者があまりに多い」と直接をお話しいただいたことがあります。厚生労働省も現在「がんでも辞めない、辞めさせない」というキャンペーンを続けているほどです。にもかかわらず、多くの企業で社員が辞めている現実があります。
――一方で、大東建託のように「がんと診断されたら100万円支給」という制度を導入している企業もあります。こうした取り組みをどう評価していますか。
大きく2つの意味で素晴らしい取り組みだと思います。1つ目は、「がんと診断されても辞めなくていい」という企業からのメッセージになることです。治療を理由に会社を離れなくても良いと会社自らが宣言しているに等しい。2つ目は、結果として大事な人材を失わなくて済むことです。40代、50代で最も働き盛りの時期にある社員ががんになるのは珍しくありません。新しく人を採用し育てるコストを考えれば、100万円の給付などはむしろコストパフォーマンスが高いわけです。
さらに見逃せないのは「黙って治療している人」への効果です。今は通院でできる治療も多いですから、有休をうまく組み合わせて会社に内緒のまま、抗がん剤や放射線治療を受けている人もいるのです。なぜ言わないかというと、治療をカミングアウトすると仕事を外されかねないから。しかし周囲に内緒にした治療は、患者にとって大きな精神的・肉体的負担です。
一方で、会社が公に「がんと診断されたら100万円」と宣言していれば、社員は安心して打ち明けることができる。これはアンコンシャス・バイアスを取り除く意味でも、非常に大きな効果を持ちます。
――働く人への企業イメージにも影響しますね。
その通りです。「うちはがんになっても辞めさせない」という姿勢は、リクルートにおける強みにもなります。これからの若い人材は「ブラック企業は嫌だ」「福利厚生がしっかりした企業で働きたい」という価値観を持っています。その時に「がんになったら100万円が出る会社」と聞けば、「きっと社員を大事にする会社なんだ」「働きやすい環境なのでは」とイメージするでしょう。
厳しい労働環境では長く人は育たないし、仮に給付が続けば経営側も健康的に働ける環境を整えざるを得ない。その意味でも、これは単に病気の社員を支える取り組みではなく、企業そのものの良質な成長につながるものだと思っています。だから、これからの時代、健康経営はますます重要な経営要素になるはずです。
――オンラインやテクノロジーの活用も、がん患者やがんサバイバーの働き方で重要な役割を果たしているのでしょうか。
もちろんです。実際、私自身がやっている(がん情報サイト「オンコロ」の)「笠井信輔のこんなの聞いてもいいですかon the WEB」という番組も、自宅で収録しているんです。出演者との対談もZoomでできてしまう。そういう番組制作の方法が当たり前になってきていますし、一般企業でもオンライン打ち合わせが日常化しています。
そればかりか、私は入院中もオンラインで仕事をしていました。病室から取材を受けたり、打ち合わせをしたり。それがもう普通にできる時代なんです。だからこそ、私は「病室Wi-Fi協議会」という団体を立ち上げ、全国の病院に無料Wi-Fiを普及させる活動をしています。
――病室Wi-Fiの普及の現状はどうなのでしょうか。
病院に入院すると分かりますが、日本の病院はWi-Fi環境がまだまだ整っていないところが多いのです。これでは入院患者は、社会から切り離されてしまいます。私たちが活動を始めた4年前は、がんの拠点病院で、病室にWi-Fiを整備しているのはわずか3割でした。今では5割程度まで広がりましたが、がんの拠点病院で半分。まだ不十分です。病院経営だけで導入するのは資金的に難しいので、補助金など国による支援が必要だと思います。この件については先日、厚生労働大臣にも直接お会いして要望を伝えてきました。
オンライン環境が整えば、患者は病室からでも仕事ができるし、家族や友人ともつながれます。不安な環境の中でコミュニケーションを保てることは、治療や社会復帰にも非常に大きな意味を持ちます。テクノロジーは患者にとってまさにライフラインなのです。
――大企業に比べると、特に中小企業の場合は、まだ病気の社員への理解や支援が十分に進んでいない面もあると思います。
自分は経営者ではないので偉そうなことは言えないのかもしれませんが、一つ確実に言えるのは、「備えがあるかどうか」だと思います。中小企業の場合、社員が病気で休職すると、その間の給与保証や、代わりの人を臨時に雇うためのコストが重くのしかかります。そうしたリスクに対応するには、企業団体保険などの仕組みを活用することができます。
例えば、社員ががんで入院した場合に、その人の給与を会社が払い続けられるように補填される仕組みや、代替要員の採用をサポートする仕組みがあるんですね。それを企業防衛の観点から導入することが大切なんです。
大事なのは、社員が病気になっても辞めさせないこと。そして復職してもらうための備えをすることです。なぜなら、その社員が持っているスキルや経験を、新たにゼロから採用する人に学ばせるのは到底難しいからです。復職支援こそが最も効率的で、会社にとっても利益になるわけです。
ただ、残念ながら経営層、特に昭和時代の価値観を持った方々には「がんになったら人生は終わり」という意識がまだ根強い。ステージ1と聞いても「大変だ、もう駄目かもしれない」と考えてしまう。でも今の医療は全く違います。ステージ1や2で亡くなる人はほとんどいないと言っていいくらいですし、私のようにステージ4でもこうして元気に働けている人間もいます。仲間の中には末期と診断されても、新しい薬で回復している人もいる。それくらい進歩しているのが令和の医療なんです。
その進歩に経営者の心が追いついていない。だから「もう使い物にならない」と考えてしまうんです。でも実際には、病気を経験した人は人間的にも成長し、学びを得て帰ってきます。決してマイナスではなく、むしろプラスの経験値を持ち帰ってきてくれる。もちろん中には体力が落ちる人もいます。でもそれはオンライン勤務や柔軟な働き方といった新しい労働環境によって十分カバーできるはずです。
コロナ以降で私たちは「働くとは何か」を学び直しました。出社しなくても働ける時代になったのです。だからこそ、企業は新しい人を一から採用するよりも、既にスキルを持つ社員を支え、生かしていくことが、特に中小企業にとっては企業の存続と発展に直結すると思います。
今は「がん=退職」という昭和の発想を捨てて、令和の医療と働き方に合わせて考えを切り替えていただきたいです。社員は病気になっても戻ってきます。その人材を生かすことこそが、これからの企業経営の大きなカギになると強く思います。
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