竹田さんによれば、前方後円墳ができた3世紀から4世紀にかけて、大きな戦争の痕跡がなく、この時期に小さな国が集まってヤマト王権の礎ができた、というのが歴史学者たちの通説だそうだ。
そして、畿内(現在の奈良全域、大阪・京都・兵庫の一部)と吉備(現在の岡山)、九州北部という3つのエリアの古墳をつくる技術が結集したのが、前方後円墳だという。
「前方後円墳というのはつまり争いをしていた国が、ひとつにまとまった平和の象徴であり、大和民族の統合の証なんですよ。話し合いで戦争をやめて、このような大きな国にまとまったという例は、世界の歴史を見てもありません」(竹田さんの講演より)
竹田さんのお話を聞いていると、前方後円墳に入ることが日本人として非常に誇らしいことのような気がするとともに、古墳に対して、さらに学んでみたいという思いがわきあがる。実際、それこそが竹田さんの目指すところでもあるという。
「実は私には裏ミッションがありまして、ただ売り上げを上げるだけではない。古墳の墓を通じて少しでも多くの人に、古代の日本に思いをはせてもらいたい。日本の建国に意識を向けていただきたい、興味をもってもらいたい、こういうことができたらいいなと思っています」
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