五輪や万博を開催したらアラ不思議、それが起爆剤になって日本経済がみるみる成長しました――という「イベント型経済成長」は、実態のない幻想であることは歴史が証明している。
分かりやすいのは、1970年の大阪万博だ。このときも開催前はネガティブな反対意見が多かったが、いざ始まると大盛況となり、来場者数は万博史上最多の6400万人に達し、経済波及効果は2兆円ともいわれた。
では、この大成功が「成長の起爆剤」となったかといえば、必ずしもそうではない。元マッキンゼーで、現在はビジネス・ブレークスルー代表取締役会長の大前研一氏はこう述べている。
「しかし万博をきっかけに関西経済が活性化したかといえば、そんなことはない。逆に日本経済が重工業への転換期を迎える中で、国内有数の集積を誇った大阪の繊維業は斜陽化し、商社や銀行をはじめ名だたる大企業が本社を東京に移す動きが相次ぐようになって、大阪の地盤沈下は急速に進行した」(「大阪の衰退は1970年の万博から始まった」PRESIDENT Online 2017年11月13日号)
このような話を聞いて納得しない方も多いはずだ。日本人は学校教育で「日本が戦後、奇跡の経済復興ができたのは、1964年の東京五輪と1970年の大阪万博によって、多くの人が明るい明日に希望を抱くことができたからです」というような精神論を叩き込まれてきたからだ。
こういう世界観をお持ちの方には大変酷な話だが、これは日本の経済成長と、2つのイベントを強引に結び付けた“神話”にすぎない。
この連載でも繰り返し述べてきたが、戦後日本経済が大きく成長したのは「人口」が大きく増えたからだ。
戦前から日本は、欧米諸国に警戒されるほどの「経済大国」だった。戦争で壊滅的な被害を受けたが、教育水準も高かったし、富国強兵策もあって労働者も勤勉で、高い技術も持っていた。そして何よりも人口もそれなりに多かった。
そういう「土壌」がしっかりできていたので戦後直後はすさまじく貧しかったが、生き残った人々が家庭を築き、人口が増えていくと、当然それにともなって経済も成長していく。GDPとは「生産性×人口」であり、同水準の先進国同士であれば、おおむね人口に比例する。日本は1967年に英国を抜いて世界第2位の経済大国となったが、これは人口で日本が英国を抜いたタイミングと重なる。
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