ハーツはその後も順調に拡大し、社員5人、業務委託20人弱を抱える規模に成長した。
運送業界の99%が下請けと言われる多層構造下において、同社も例外ではなかった。利益率の高い特定の大口顧客に依存する形となっていたが、「当時は絶好調で、1社依存への危機感は全くなかった。とにかく売り上げを増やすことに目を向けていた」と山口氏は振り返る。
特定の大口顧客の物流拠点案件に集中して稼働できたことは、当時の経営判断としても合理的であった。しかしその合理性が、知らぬ間に特定顧客への依存度を限界まで高めていた。
暗転は突然訪れる。2001年3月、大口顧客のM&Aに伴い契約を解消された。孫請けとしての取引は継続できたものの、単価は激減し、実質的に売り上げの8割を失う事態に陥った。
この窮地に、山口氏はすぐさま動いた。地元のネットワークを駆使した営業で新たな案件を確保するとともに、軽貨物以外の領域にも踏み出したのだ。4トントラックが必要な配送案件を打診された際には、自社で4トントラックを確保するのではなく、まずは協力会社を手配する「窓口」として受注を確保した。協力会社に案件を振りながら、並行して自社でも4トントラックを保有するためのライセンス取得に動いた。
さらに山口氏は、配送現場で必ず発生する「梱包資材」の廃棄にも着目した。「荷物を届けるところが入り口なら、梱包資材などのゴミが出る場所は出口。そこまでセットで解決しようと考えた」
この発想から、産業廃棄物収集運搬業(事業活動に伴って排出された産業廃棄物を、排出事業者から委託を受けて、中間処理施設や最終処分場まで安全かつ法に基づいて運搬する事業)の許可も取得。
大手ゼネコンへ「物流と廃棄のセット提案」という独自の営業を仕掛けていった。ハーツの拠点である東京から成田空港まで、往復6時間で1.5万円という低単価な航空貨物の仕事もいとわず、あらゆる案件を引き受け、多角化を推進。2003年までの2年間で、売り上げの7割を回復するまでに至った。
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