沈みゆく「百貨店」 老舗の暖簾を脱ぎ捨て転生した地方企業の“したたかな”生存戦略前編(3/4 ページ)

» 2026年03月30日 08時00分 公開

百貨店→スーパーへの転身で成功した企業も

 第2次世界大戦後、経済成長に伴い大量消費時代が訪れると、当時「商業の雄」であった多くの百貨店は先述した伊勢甚のようにスーパー業への参入を図った。そうした中、百貨店業を完全に廃してスーパーに業態転換し、地場大手スーパーへと上り詰めた例もある。

 その一つが、東京と横浜・横須賀などを結ぶ京浜急行の傘下である電鉄系スーパー「京急ストア」だ。

 京急ストアの前身は、ターミナル百貨店の展開を目指して1933年に設立された「京浜デパート」だった。設立の経緯から多くの店舗が駅ビル・もしくは駅チカであった京浜デパートは、戦後そうした好立地を引き継いで食品を中心としたスーパーに完全に業態転換した。

 沿線開発の進展に合わせ順調に店舗網を増やして首都圏の有名スーパーとなったが、運営企業名は創業期の名残で1990年まで「京浜百貨店」となっていた。なお、京急グループは京浜百貨店の社名変更と同時期に「京急百貨店」を設立。1996年には京急百貨店(上大岡本店)を出店し、百貨店事業にも再挑戦することとなった。

京急ストア鶴見西店は、1934年に「京浜デパート鶴見店」として開業。時代に合わせてスーパーに業態転換したのち100年近く生き残っている店舗だ。当初は百貨店の定番だった大食堂に加えて鶴見臨港鉄道の本社も入居していた(写真:びるまち)

時代に合わせて業態転換を続ける「元・百貨店」

 ユニークな業態転換を果たしたのが、福岡市にあった百貨店「渕上」だ。

 当時博多の一等地であった川端通商店街の前に立地していた百貨店で、1895年に創業した呉服店を起源に持つ。戦後、渕上グループは1958年に子会社「丸栄」(通称「渕上丸栄」、1970年よりユニードへ商号変更)を設立してスーパー展開に参入すると、高度経済成長を追い風に店舗網を急拡大。好立地にあった渕上百貨店本店を総合スーパーへと業態転換するなどして知名度を高め、1973年には当時まだ珍しかった大型ショッピングセンターの運営にも参入した。

 スーパーとなって店舗網を九州から近畿地方にまで拡大したユニードは、1982年に競争激化防止のため通産省(現・経産省)が出した通達でダイエー、ジャスコ(現・イオン)、イトーヨーカドーなどとともに「出店総量規制が必要な大手スーパー」として名指しされるなど、一気に流通大手の一角へと上り詰めた。

 しかし、競争が激化する中、ユニードは伊勢甚と同じく流通大手と提携することで生き残る道を選ぶ。ユニードは当時日本最大手スーパーであったダイエーグループと資本・業務提携、同社の傘下となったのち1994年にダイエーに合併。業界大手の一角を担う存在となっていたにもかかわらず、スーパー業からも撤退することとなった。

 流通業界が目まぐるしく変化する中、渕上の創業家は1978年にかつての経験を生かして祖業である呉服店を独立した。当初はスーパーの店内などを中心に呉服店を展開していたが、呉服が厳しい時代になると冠婚葬祭業、冠婚葬祭のためのレンタルドレス業、ドレス・ジュエリーショップの運営、商品プロデュースなどに事業を広げていった。

 呉服店から百貨店、さらには大手スーパー、そして再び祖業である呉服店へ――時代に合わせて業態転換を続けた渕上は、2026年現在は冠婚葬祭・ドレス関連事業を主業とする渕上ファインズグループとして、百貨店やスーパー時代には実現できなかった東京をはじめとする東日本エリアや海外への店舗網拡大も果たしている。

福岡市の中心部にある「渕上百貨店」跡のオフィスビル。地階には現在マックスバリュが出店しており、かつて百貨店→スーパーだった名残を感じられる。呉服店→百貨店→スーパーと時代に合わせて業態転換を続けた渕上の後継企業は、今もこの徒歩圏で冠婚葬祭業・ドレス事業などを行っている(写真:若杉優貴)

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