米Microsoftのサティア・ナデラCEOが放った「SaaS is Dead」(SaaSの時代は終わった)。この一言が、IT業界が直面する「構造的転換」を象徴する言葉となった。
議論の焦点は、単なる「効率化」から、自律的に業務を完結させる「AIエージェント」による労働の代替へと移っている。これまで「人間が使う道具」として機能してきたソフトウェアは、今や「AIが自ら稼働するサービス」へと変革を迫られているのだ。
実際、SaaS業界をけん引してきた米Salesforceの株価は、この1年で下落傾向にある。AIが人の代わりに働くようになり、これまでの「使う人数分だけ料金を払う」という仕組みが成り立たなくなっているのだ。市場は今、SaaS企業に対して「AIを使いこなして進化するか、それともAIに取って代わられて消えるか」という、厳しい選択を迫っている。
そんな激変期の真っ只中で、国内上場SaaSのフロントランナーはどのような「生存戦略」を描いているのか。ARR(Annual Recurring Revenue:年間経常収益)ランキングで上位を走り続けるリンクアンドモチベーションの真砂豊執行役員に聞いた。
真砂豊(まなご・ゆたか) リンクアンドモチベーション 執行役員。東京大学卒業後、2009年、新卒でリンクアンドモチベーションに入社。経営企画室長として、ベンチャーインキュベーション事業を立ち上げ。その後、中堅・成長ベンチャー企業向けコンサルティング部門の責任者、新規事業のPMO責任者、大手企業向け事業部門の責任者を歴任。現在は、執行役員としてブランディング・マーケティング・セールスを統合したSaaSビジネスモデルの構築を指揮する(筆者撮影)リンクアンドモチベーションは、経営コンサルティングとSaaSプロダクトを組み合わせた「コンサル×SaaS」のハイブリッド企業だ。ソフトウェアベンダーでも、旧来型のコンサルティング会社でもない独自の立ち位置が、AI時代における同社の優位性になっている。
2000年の創業以来、一貫して「人のモチベーション」にフォーカスした経営コンサルティングを展開し、組織変革の領域で独自の知見を積み上げてきた。人的資本経営に関わる「人材採用」「人材育成」「制度構築」「風土改革」といったテーマを中心に、日本とアジア5カ国で事業を展開する。ネット印刷のラクスルや、ゲーム事業を手掛けるアカツキなど、IPOを実現したベンチャーの支援実績も持つ。
SaaSとしては、コンサルティングによって培った知見をプロダクト化し、組織の現状把握から改善までを支援するクラウドサービス「モチベーションクラウド」を展開している。同サービスは360度評価や社内ポータル、採用プロセス改善など複数の機能を持つ。その中心となるのがエンゲージメントサーベイ機能だ。「期待度」と「満足度」の2軸によってアンケート調査を実施し、組織のエンゲージメント状態の診断・改善を支援する。
このエンゲージメントサーベイ機能は、約60万人が働くイオンや、パナソニックホールディングスといった大企業から、大阪府・札幌市・目黒区などの自治体まで幅広く導入されており、延べ1万3930社・約629万人分のデータを蓄積する。エンゲージメントサーベイ市場においては、9年連続でトップシェアを誇る(※)。
現在、グループ全体での従業員数は約1600人で、売上高も415億円まで拡大させてきた。
(※) ITR「ITR Market View:ワークプレイス最適化市場2025」従業員エンゲージメント市場:ベンダー別売上金額およびシェア(2017〜2025年度予測)
では同社は、ナデラCEOの発言に端を発した「SaaS is Dead」という言葉を、どう受け止めているのか。
真砂氏は「SaaS is Deadという言葉は、そもそもナデラ氏の発言を極端に先鋭化した言葉だと思います」と話す。短期的には言葉が一人歩きしている面があるとしつつも、長期的にAIがSaaS市場に与える影響は不可避だと認める。「実際、AIがSaaSの市場を奪っていることは間違いない」とも続けた。
ではAIはSaaSをどう変えていくのか。真砂氏はナデラ氏とSalesforceのCEOであるマーク・ベニオフ氏、両者の主張を引き合いに出しながら整理する。
ナデラ氏が指摘するのは、メール作成や資料の要約といった「汎用的な業務」での変化だ。こうした領域では、AIがユーザーの「窓口」となり、複数のSaaSを裏側で勝手に操作して仕事を完結させるようになる。つまり、個別のSaaSアプリを開く必要すらなくなり、AIがSaaSを代替していくという見方だ。信頼性の要求が比較的低い領域だからこそ、AIが「指揮者」のように上位に立ち、複数のSaaSを横断的に制御する世界が、もう目の前まで来ているのだ。
対してベニオフ氏が強調するのは、人事や財務といった「ミスが許されない専門業務」での影響だ。高い精度と信頼性が求められる業務領域ではAIが既存SaaSの「内部」に組み込まれ、データの正確性やルールを守りながら業務を高度化させる。つまり、AIによってSaaSそのものが「より賢いインフラ」へと進化するという方向性だ。
人事領域のテクノロジー、HRテックは後者に属する。給与計算や人事評価など、わずかな誤差も許されない業務を扱う以上、信頼性とガバナンスは絶対条件だからだ。真砂氏は「AIが外側からSaaSを代替するのではなく、内側で補強し進化させる形になっていくと見ています。つまり、人事領域はSaaS is Deadしづらいと捉えています」と主張する。
HRテックがAIによって「内側から補強される」方向に進む場合、具体的に人事領域でAIはどう活用され、何を変えていくのか。
真砂氏によれば、まず自動化が進むのは、トランザクション処理といった複雑なデータを正確に扱う業務だという。これまで人が行うと労力を要したり、ミスが生じたりしていた業務が、AIによって精度高く効率化されるということだ。
AIによる自動化で業務の「コスト」と「ミス」が劇的に減れば、これまで予算不足で後回しにしていた組織課題にも、リソースを割けるようになる。その最たるものが、経理や給与計算といった「人手のかかる定型的な事務作業」(バックオフィス業務)だ。こうした領域では、決済から記帳までを自動化するプラットフォーム「UPSIDER」のように「面倒な実務を丸ごとAIサービスに委ねる」流れが、今後さらに加速していくという。
対して採用や育成、制度設計、エンゲージメントといった領域では、事情が異なってくる。人の納得感や共感が求められる、正解のない領域では「AIによる自動化だけでは不十分であり、最適化や予測が重要」と真砂氏は言う。「AIが人を代替するのではなく、人の判断や納得をAIが支援する方向で力を発揮していくと考えています」
実際、リンクアンドモチベーションが手掛ける組織コンサルティングでも、クライアント企業の関心はDXから「AX」(AI Transformation)へとシフトしており、業務デザインや育成体系、人事制度におけるAI活用が課題になっているという。
こうした変化の先には、より大きな問いも浮かび上がる。Webアプリケーション連携・自動化サービスを手掛ける米Zapierの創業者、ウェイド・フォスター氏が「組織には、人間の従業員よりも多くの『AIエージェント』が存在するようになる」と予言している通り、人間とAIの協業環境の整備が急務となる。
AIエージェントとは、人間が操作しなくても、自律的に判断して業務を完結させる「デジタル上の働き手」のこと。つまり「1人の社員に対し、数人の“AI部下”がついて働いている」ような状態が当たり前になる時代が近づいているのだ。
そうなれば、マネジメントの対象は人間だけではなくなる。人間とAIが混在するチームを誰がどう管理するのかという「ピープルマネジメント領域のAI代替」が、中長期的な論点になっていく。「デジタル部下」(AI)を管理するにはITの知識が必要であり、「チームとして成果を出す」にはHRの知識が必要になるため、真砂氏は「HR部門とIT部門の連携がカギになると推測しています」という。
「SaaSが終わる? 興味ない」 ラクス社長が語るAIの「真の脅威」
「学歴は無価値に」 米トップエンジニアが明かす、AI時代に“大化けする人材”の共通点
「KPIは睡眠時間」──オードリー・タンに聞く、日本企業の生産性が上がらない根本原因
アサヒ、アスクルに学ぶ サイバー攻撃後に「信頼を落とさない会社」がやっていること
富士通社長「フィジカルAIこそ日本の勝ち筋」 NVIDIAと挑む“脳”の開発Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング