都市商業ライター。大分県別府市出身。
熊本大学・広島大学大学院を経て、久留米大学大学院在籍時にまちづくり・商業研究団体「都市商業研究所」に参画。
大型店や商店街でのトレンドを中心に、台湾・アニメ・アイドルなど多様な分野での執筆を行いつつ2021年に博士学位取得。専攻は商業地理学、趣味は地方百貨店と商店街めぐり。
アイコンの似顔絵は歌手・アーティストの三原海さんに描いていただきました。
地域商業の雄・地方百貨店の苦境が叫ばれて久しい。少子高齢化やECの浸透、郊外への大型商業施設の進出などが原因だ。かつて「街の顔」だった地方百貨店は、その存在意義を問い直されている。
しかし、中にはそうした環境の変化を好機と捉え、新たな価値創出へと舵を切る地方百貨店も見られる。今回は従来とは異なる形で、時代に合わせた新たな店づくりを進めている九州の百貨店を前後編で紹介する。
前編で取り上げるのは、佐賀県唯一の百貨店「佐賀玉屋」だ。同社は郊外型商業施設に客を取られ、売り上げが年々減少。さらに、施設の老朽化問題に直面し、財務面で債務超過に陥るなど、一時は厳しい状況にあった。
そうした“三重苦”の状況で同社が選んだのは「外部資本の導入」による店舗建て替え、さらには店舗機能の拡張を伴う抜本的な経営再建だった。創業家主導の経営から脱却し、“脱・昭和”の生存戦略を進める佐賀玉屋は、どのような変貌を遂げたのか。
佐賀玉屋は、JR佐賀駅から南にのびる駅前通りをまっすぐ歩いて約20分の場所にある。長年、佐賀市の中心商業地に店を構えている老舗だ。
玉屋は1806年、肥前国牛津(現・佐賀県小城市)で呉服店として創業した。明治期には長崎県佐世保に進出している。その後店舗網を広げ、九州を代表する呉服系百貨店としての地位を確立していった。1933年には、地場百貨店の買収により佐賀市中心部の商店街に出店。悲願となる「創業県への百貨店出店」だった。
1965年には現在地に新築移転(のちの本館)し、以降は増床を重ねながら店舗規模を拡大した。1980年には南館、1992年には新館が開業。佐賀県内で唯一のブランドを多数取り扱うなど、県都・佐賀市はもちろんのこと、佐賀平野一帯のトレンドをけん引する存在として発展してきた。
しかし1990年代に入ると状況は一変する。大規模小売店舗法の規制緩和もあって、佐賀市郊外には大型ショッピングセンターが相次いで進出。特に佐賀平野から筑後平野にかけての平坦な地形は、郊外型店舗の出店に有利に働いた。市内における消費の主戦場が、一気にマイカーでのアクセスを前提とした郊外エリアへと移行したのだ。
佐賀玉屋が立地する佐賀市の中心商業地は長崎街道や佐嘉神社の門前に近く、江戸時代から栄えた地域だった。しかし、現在の交通の中心であるJR佐賀駅やバスターミナルからは距離がある。公共交通の利用者にとって便利な立地とは言いづらかった。
1990年代以降、中心商業地エリアでは大型店・老舗商店の撤退やその影響を受けた商店街組合の解散が相次ぎ、佐賀玉屋は孤軍奮闘を余儀なくされた。売上高は徐々に減り、収益力は低下していった。
街の郊外化が進む中、追い打ちをかけたのが佐賀玉屋本館の建物老朽化だ。
1965年築の佐賀玉屋本館の建物は「昭和の百貨店」そのもの。2017年には老朽化による耐震性不足が発覚し、設備面においても21世紀の商業施設に求められる快適性を満たすには限界があった。
本館の建て替えが避けられない状況の一方、売り上げの減少が続く中で巨額の投資を単独でまかなうことは難しく、財務面で債務超過に陥るなど厳しい局面を迎えていた。
2006年に開業した近郊型ショッピングセンター「ゆめタウン佐賀」。広島のスーパー「イズミ」が運営、約200の専門店が出店する圧倒的な規模で昭和の百貨店とは大きく違う雰囲気。JR佐賀駅からは玉屋、ゆめタウンともに路線バスで10分前後だ(写真:若杉優貴)
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