なぜタミヤはクオリティの高い商品を生み出し続けられるのか?:一大ブームの仕掛け人たち(2/4 ページ)
ミニ四駆ブームがいかに起きたのかについて前回紹介したが、そのメーカーであるタミヤの商品クオリティの高さが1つの要因であった。そこで今回はなぜタミヤが優れた商品開発を行えるのか、そのバックグラウンドに触れたい。
メディア対応
毎週月曜日の朝には、スタッフ1人による発表(トーク)がローテーションで課せられていた。論題と用意する資料は、デザイン室の業務や業界に関連するものであれば自由だったが、よくまとまっていないと新人もベテランも一様に、田宮督夫先生に速攻で突っ込まれて撃墜された。
諸先輩の発表には、国内外の他社製品の動向を共有する内容や、業界内の懸念事項についての考察が多かったが、新人の筆者は何の知見の蓄えもないので、当時のデザイナーズブランドや日用品メーカーの顧客獲得用グッズ、ノベルティをかき集めて、その狙いや販促効果の検証、新刊雑誌が出ればその媒体にアプローチする場合のPR施策を挙げるなど、あえて異端な提案をやった。
ある期間、月次で問屋や二次店に営業部担当と同行することを命じられた。他社の商品情報や営業活動を把握して、設計室やデザイン室に向けたフィードバックが求められたからだ。今のようにスマホでサッと撮ったりできないので、ひたすら“こそこそモード”でメモを取りつつ、小売店に流す各社の商品情報(印刷物)をコピーさせてもらった。
さらには、商談が終わったばかりの他社の箱板(ハコイタ:パッケージ見本)や白箱(シロバコ:化粧箱に入っていない製品のサンプル)まで拝借し、各社の商品の問屋評価を直接聞き込んで、その収穫を有り体にさらして社内にリポートした。スパイさながらだった。何を評価されるかも分からないまま、行く先々に転がっている情報を全て拾って帰る勢いで動いていた。
しばらくして、日々の業務と併行して担当することになったのがメディア対応だった。タミヤ製品の撮影用完成品はデザイン室所管だった。いろいろなメディアからの貸出し依頼の窓口をやっていたので、「壊されたら怒られるあの仕事か?」と思っていたらまるで違った。メディアやエディター陣との円滑なパスを作って、タミヤの情報の落としどころを広げてみろという仕事だった。
当時の玩具メーカーが繰り広げていた商品のキャラクタライズやメディア戦略は、筆者にとっても関心事でうらやましかった。ファミコン(ゲーム)のメディア戦略の動きもじわじわ始まっていた一方、タミヤのメディア戦略はとぼしく、筆者は玩具やファミコンと同じテーブルに同じぐらい模型を露出できなければこの業界では負けだと、生意気にも勝手に考えていた。
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