なぜタミヤはクオリティの高い商品を生み出し続けられるのか?:一大ブームの仕掛け人たち(3/4 ページ)
ミニ四駆ブームがいかに起きたのかについて前回紹介したが、そのメーカーであるタミヤの商品クオリティの高さが1つの要因であった。そこで今回はなぜタミヤが優れた商品開発を行えるのか、そのバックグラウンドに触れたい。
古典的なメディア戦略とRCカー(ラジコン)
そこでまずは、古くから親交のある模型専門誌やRCカー専門誌とのリレーション作りから始めた。特に「モデルアート」の井田彰郎さん(現会長)には、何も知らなかった筆者に出版事情も編集事情もあけすけに教えていただいたおかげで、いろんな理屈が腑に落ちていった。
次に、ホビーのジャンル別に刊行していた大百科シリーズなどのムック(雑誌と書籍の中間にある本)を編集するプロダクションでは、情報が蓄積されると新刊がリリースされる動きが顕著だったので、たびたび往訪してはニュースを注ぎ込んだ。そして、ホビー企画と親和性の高い雑誌や、模型やラジコンを個人的に好きな編集担当者に直接アプローチできるようになると、発売前の完成品に直接触れてもらってはそのインプレッションをパブリシティ枠で扱ってもらった。これがやがて、媒体の特集企画に合わせた模型の完成品(改造例)やジオラマをタミヤ側で製作して、それを誌面展開するような踏み込んだコラボレーションも叶うようになっていく。
リポート記事とのバーターで、発売前のRCカーのテストキットを複数の自動車専門誌などの出版社に提供し、各編集部がプライドをかけてレースに興じてもらう“プレス対抗レース”もこのころから計画的に展開した。リザルトが良かった出版社ほど編集作業のテンションも上がって、編集部内の模型やRCカーへの関心も確実に上がっていくのが分かった。
模型=ディスプレイ……であることを純粋に見せる企画もあったが、絵的にもアクティブなRCカーのほうがウケは良く、取材の対象としても関心高く扱ってもらうようになった。静岡のタミヤサーキットまで遠征して取材してもらうことも当たり前に行われるようになった。この時点では、小学生やヤングアダルトのマーケットに直接影響が出るまでには至らないが、それまでに比べれば、タミヤのRCカーに関する情報の露出は格段に増えた。市場でもRCカーへの人気のうねりが見え始め、タミヤの主力商品としてのイメージも上がり、TV番組「RCカーグランプリ」(1984年10月〜)の放映にもつながっていく。
個人でニュース配信できるようなインフラなどない持代。メーカーの一担当者としての筆者が、一般公開する前の情報を携えてさまざまな編集部に伺うと、多くは寛容に迎え入れていただき、そのうち出版業界や編集の事情を交えた商品への意見やリクエストを聞かせてもらうようになった。地道に出版社へのアポをとって商品情報の伝播に多く動くことで、得るものも多かった時代だった。
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