“超高速関ヶ原”の裏では何があったのか?:「真田丸」を100倍楽しむ小話(2/3 ページ)
戦国時代のラストを飾る天下分け目の大合戦が「関ヶ原の戦い」です。その関ヶ原を『真田丸』ではたった1分弱で終わらせたことが話題になっています。そのとき一体何があったのでしょうか……?
小日向: 基本的には第一次と同じく、少しの兵を出して、上田城に敵を引き寄せ撃退するというのを繰り返しました。ただ、史実として分かっているのは、一度は昌幸が降伏すると言って秀忠軍を油断させるも、降伏はせず、逆に「かかって来い」と挑発したため開戦したということです。それ以外はほぼすべて軍記物です。
編集部F: 上田合戦での昌幸の狙いは、やはり関ヶ原へ向かう秀忠軍を足止めして、少しでも関ヶ原で西軍が有利になるよう時間を稼ぐことだったのでしょうか?
小日向: その側面はあるかと思いますが、関ヶ原の戦いがたった1日で終わるとは思っていなかったはずです。結果的に本戦に秀忠軍が間に合わなかったから手柄になっただけで、昌幸も秀忠ももっと長く続くと思っていたことでしょう。そうした意味で彼らにとっても超高速関ヶ原だったわけですね。
編集部F: 関ヶ原の戦いがあっという間に終わったのは、小早川秀秋の裏切りが大きかったのでしょうね。
小日向: それと毛利軍が動かなかったことですね。
編集部F: なぜ動かなかったのですか? 優柔不断だったから?
小日向: 吉川広家が毛利軍を止めていたからです。
編集部F: 理由は何ですか?
小日向: 実は広家は黒田官兵衛・長政父子と仲が良く、調略を受けて徳川軍と内通していたのです。
最近の説では、秀秋もしびれを切らした徳川家康に鉄砲を打ち込まれて脅されたから寝返ったのではなく、合戦前から内通していたようです。だから松尾山という要の場所に陣取ったのです。元々は別の場所に陣取る予定だったのが、前日に急遽松尾山に変更したそうです。
編集部F: 東軍は前もって画策していたのですね。当然それは西軍も同じですよね?
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