“超高速関ヶ原”の裏では何があったのか?:「真田丸」を100倍楽しむ小話(3/3 ページ)
戦国時代のラストを飾る天下分け目の大合戦が「関ヶ原の戦い」です。その関ヶ原を『真田丸』ではたった1分弱で終わらせたことが話題になっています。そのとき一体何があったのでしょうか……?
小日向: あったとは思いますが、寝返りがなければ勝てた可能性は高いです。石田三成もそのように西軍の勝利を計算していたと思います。
実は関ヶ原で戦う予定はなかったみたいです。大坂城を目指して攻めてくる東軍を最初に大垣城で防いで、それが無理だったら南宮山、そして松尾山と、三段階で防衛ラインを引いていたようです。まさか3カ所すべては突破されないだろうと思っていましたが、それが現実に起きてしまったので、結果的に関ヶ原という場所で野戦になったのです。三成は南宮山の毛利と大垣城や主戦上の西軍(石田隊・宇喜多隊など)で東軍を挟み撃ちする予定でした。
関ヶ原の戦いの後、三成は「人の心計り難し」という言葉を残しています。三成は数字の計算が得意でしたが、人の心まで計算するのはできませんでした。きっと寝返りなんて想定外だったのでしょうね。切ないです。
編集部F: まさか味方が裏切ると思っていなかったなんて、戦国時代において純粋すぎますね。
小日向: 関ヶ原の戦いでの寝返りといえば、秀秋に続いて、日和見した朽木元綱、小川祐忠、赤座直保、脇坂安治が東軍に寝返りました。実は戦後の処遇で脇坂だけは所領安堵、ほかの3将は減封やお家取りつぶしなど厳しく処分されました。家康はその場で日和見して寝返った武将を徹底的に罰しているので、脇坂だけが最初から寝返ることを家康に伝えていたのではないかと言われています。味方についた武将でも容赦なく処罰する家康を恐ろしく思うかもしれません。しかし、家康はどさくさまぎれの火事場泥棒のような、不義理な人物が嫌いなのでしょう。その代わり、忠義の士は重んじるし、対処も温かい。そういう懐の深さは、さすが天下人たるゆえんだと思います。
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