父・家康とは対照的 側室は一人もいなかった徳川秀忠はマジメ?:「真田丸」を100倍楽しむ小話(2/2 ページ)
偉大な父親、徳川家康の陰であまり目立たない存在だった2代将軍・徳川秀忠。一人の側室も持たず、マジメキャラのイメージがありますが、実際には……?
小日向: そうです。秀忠が17歳のときに、バツ2で23歳の江姫を正室に迎えました。それからずっと奥さんの尻に敷かれていたイメージです。
そんな中、一生に一度の浮気によって生まれたのが、保科正之です。3代将軍の家光を後々支える幕府の功労者です。実は正之の存在は、秀忠も江姫も生前は認知していなかったそうです。
編集部F: 恐ろしい江姫にばれたらと思うと……。知らぬが仏ですね。
小日向: 正之は隠し子として旧武田家臣団に育てられました。ですので、しっかりとした教育を受けたはずだと思います。優秀な人物でしたので将軍職についてもおかしくない場面がありましたが、自分は前に出ず、兄・家光を支えました。武田信玄と、弟の信繁の関係と似ているかもしれませんね。家光からも、とても信頼されました。
1643年に会津藩23万石の大名となり、以後、幕末まで正之の子孫が会津松平家として藩主を務めました。会津藩好きの私にとっては、秀忠は正之のお父さんという印象が強いですね。
編集部F: 余談ですけど、会津藩って藩主がコロコロと変わっていますね。私の最も好きな蒲生氏郷だったり、上杉景勝だったり、加藤嘉明だったりと。
ところで、秀忠はやはり恐妻家だったのですかね?
小日向: 私は恐妻家とは思っていないのですが、江姫は幼いころから数々の修羅場をくぐり抜けているので、肝が据わっているのは間違いないでしょう。
ただ、将軍として側室がいないというのはあり得ないと思います。江姫は秀忠の正室になって4人連続で女の子を産んでいます。もともと女系家族で、かつ4人も女の子ができたら、普通に考えると側室に男の子を産ませなさいとなるはず。後継ぎのことを考えると、そうやってリスクヘッジしますよね。
そして、5人目に待望の男子である家光が、6人目も男子で徳川忠長が生まれました。実は秀忠も江姫も忠長を後継ぎにしたかったのですが、そのころ家康が儒教にはまっていて、長子相続にすべきと考えたことなどから、長男の家光が将軍になりました。
編集部F: 家光の乳母だった春日局のプッシュも大きかったようですね。秀忠の周囲にはパワフルな女性が多かったことがよく分かりました。
関連記事
- バカ殿と呼ばれ続けた北条氏政に光明? 「汁かけ飯」に新解釈
戦国時代、関東の雄として君臨していた北条家を滅亡させた氏政&氏直父子。特に氏政は「バカ殿」ぶりを示すさまざまな逸話が残っています。そのイメージを覆そうとしたのが先週放送の「真田丸」でした。 - 正室から側室に格下げ それでも真田信幸を支えるけなげな「おこうさん」
大河ドラマ『真田丸』に登場して以来、ナイスなキャラクターで注目を集めている「おこうさん」。元々は真田信幸の正室でしたが、途中で側室になってしまった気の毒な人物でもあります。 - なぜ真田一族は忍者のイメージがあるのか?
猿飛佐助に霧隠才蔵――。真田信繁に仕えたこうした忍者たちは架空の人物とされていますが、どうして真田一族と忍者は強い結び付きのイメージがあるのでしょうか? - “超高速関ヶ原”の裏では何があったのか?
戦国時代のラストを飾る天下分け目の大合戦が「関ヶ原の戦い」です。その関ヶ原を『真田丸』ではたった1分弱で終わらせたことが話題になっています。そのとき一体何があったのでしょうか……? - 徳川家臣団に嫌われながらも家康に尽くした本多正信の素顔
徳川家康の幼なじみであり、参謀として知られる本多正信ですが、一度は家康と敵対し、徳川家を離れました。それが正信のその後の人生において大きなターニングポイントとなったのです。 - 汚名返上を願う! 豊臣秀次は地元に愛される名君だった
豊臣秀吉の怒りを買い、28歳の若さで亡くなった豊臣秀次。“殺生関白”というあだ名が付けられるなど、これまで悪名高いイメージがありましたが、実は地元・近江の人々からは今なお慕われている名君なのです。 - 真田信繁の九度山幽閉ライフは意外と幸せだった?
関ヶ原の戦いで西軍が負けた後、九度山に幽閉された真田昌幸・信繁親子。トータルで14年間もいたのですが、意外と幸せな生活を送っていたのでは……? - あの史実が明らかになったのは最近だった! まだまだ謎多き上田城
真田昌幸が居城とした信州・上田城。この城は何とっても攻め込んできた徳川軍を2度にわたり退けたことで有名です。実はいまだに謎が多い城のようです。 - 辛い営業マンさながらの板挟みにあった片桐且元の真意は……
豊臣家の事務方として秀吉や秀頼に尽くした片桐且元ですが、最後は徳川方へ奔走してしまいました。且元の真意はいかなるものだったのでしょうか……? - 謀略を繰り返した真田昌幸、それでも守りたかったのは……
戦国武将きっての戦略家だった真田昌幸。さまざまな大名の下を転々とし、謀殺した武将は数知れず。そんな昌幸でしたが、変わらずに守り続けたものとは……? - 大酒飲みの福島正則、酒の失態で天下三名槍を失う
加藤清正とともに幼少のころから豊臣秀吉に仕えた福島正則。その豪傑ぶりは時として大きな失敗も引き起こしました。 - 徳川家康が爪を噛み続けるわけ、それは……
忍耐、我慢――。徳川家康といえば、多くの人がこうしたイメージを抱くでしょう。そんな家康のクセは爪を噛むことでした。 - 本多忠勝の「蜻蛉切」は意外と……
昨年、“徳川四天王”の一人として武で名を馳せた本多忠勝の武器「蜻蛉切」が11年ぶりに一般公開されました。歴ドルの小日向えりさんも実物を見に行ったわけですが……。 - これぞ武士! 知将・大谷吉継と家臣との感動秘話
豊臣家きっての知将だった大谷吉継。関ヶ原の戦いで命を落としてしまうのですが、吉継には感動的な逸話がたくさんあります。 - 4度も姿を変えた伏見城、最後はバラバラに……
「幻の城」と呼ばれてきた伏見城。豊臣秀吉の隠居用屋敷として建てられて以来、何度も場所や作りを変えた珍しい城です。そして最後はバラバラに解体されるという運命に……。 - 鶴松の死を嘆く豊臣秀吉だが、実は3人目の子どもだった!?
豊臣秀吉と茶々(淀殿)の間に生まれた鶴松。この鶴松が秀吉の最初の子で、それまで秀吉は子宝に恵まれなかったと言われていますが、実は30代のころに子どもを2人もうけたという説もあるのです。 - 人気うなぎ登り! 石田三成は豊臣家の学級委員長キャラ
滋賀県とのコラボCMや三成タクシーなど、今ブームが巻き起こっている戦国武将が石田三成です。これまで長らく虐げられていた三成でしたが、実に優秀な人物でした。 - 生涯でたった1度しか笑わなかった上杉景勝
上杉謙信から家督を継ぎ、重臣・直江兼続とともに上杉家の発展に大きく寄与した上杉景勝。その人物像は無口で武骨、何と言っても生涯で1度しか家臣の前で笑わなかったそうです。 - 真田信幸は戦国トップレベルの身長&寿命だった
真田昌幸の長男として、弟・信繁とともに父を支えた信幸。後年は敵味方に分かれることになりましたが、家族の絆は変わりませんでした。そんな信幸は戦国時代には珍しいほどの長身だったようです。 - 虎退治の加藤清正、猛将よりも知将ぶりをアピールしたい
加藤清正という武将について、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。虎退治などで知られるように勇猛なイメージが強いのでは。けれども実は知的な面も……。 - 『天地人』では見せなかった直江兼続のホントの素顔
上杉家の直江兼続といえば、当主の上杉景勝を支えた股肱の臣として活躍しましたが、実はかなりの皮肉キャラだったようです。 - 大阪に“粉もん文化”を作った千利休
戦国武将に茶の湯を広めた立役者、千利休。実は大阪に根付いている「粉もん文化」を作ったとも言われています。 - 滝川一益と真田昌幸は似たもの同士だった?
歴ドル・小日向えりさんとともにNHK大河ドラマ「真田丸」にまつわる小ネタなどを紹介して、もっとドラマを楽しめるようにする新コーナー。第1回は滝川一益についてお話します(いきなりシブい!?)。 - 大河ドラマ主役の真田幸村、ところで何をやった人?
戦国時代の真田ファミリーを描く今年の大河ドラマ「真田丸」がいよいよ始まります。ドラマの中で主役となるのが真田幸村ですが、いったいどんな功績を残した人なのでしょうか。実は……。 - 虫嫌いに占いマニア、乙女な素顔の武田信玄
戦国時代、あの織田信長からも恐れられた武将といえば、甲斐の虎・武田信玄です。「風林火山」の軍旗を掲げ、果敢に諸国を侵略していった信玄公は勇敢そのもの。しかし実は乙女な一面を持っていたのをご存じでしょうか? - 歴史とネットにどっぷり浸かる私
読者の皆さん、こんにちは。歴史アイドルの小日向えりです。この連載では戦国時代の武将を中心に、その人物の知られざるエピソードやビジネス的なスキル、さらにはその人にピッタリなネットサービスを紹介したいと思います。 - 生涯で93回も引っ越し!? クレイジー絵師・葛飾北斎の素顔
江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽三十六景」を一度はご覧になったことがある人は多いでしょう。富士山の世界文化遺産にも貢献したと言われる北斎ですが、実はかなりの変わり者だったようです。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.