元マイクロソフトCTOの古川享氏が「初のノーネクタイ」でInteropの基調講演に登場。「IP技術は進化しているが、それを活用して開かれたサービスを提供できないなら死に絶えるしかない」などと語った。
「この会場では何度もスピーチしてきたが、ネクタイなしのスピーチは初めてだ」――元マイクロソフトCTO(最高技術責任者)の古川享氏は6月13日、幕張メッセ(千葉県)で開幕した「Interop Tokyo 2007」の基調講演でこう切り出した。
MSを離れて2年。「ブロガー」「日本鉄道模型の会(JAM)会長」などの肩書きを名乗ってきた古川氏だが、今回は「慶應義塾大学デジタルメディアコンテンツ統合研究機構 教授」として登壇。IP技術の進化と、それがもたらす社会変化について「1カ月をかけて勉強し、ここ20年で最もまじめに研究した」という成果を、満員の聴衆に披露した。
早口でまくしたて、会場を動き回りながら語る“古川節”は鳴りをひそめ、MS時代よりもゆっくりと話し、移動距離も短かった古川氏。だが技術に対する舌鋒の鋭さは変わらない。
「ネットワーク環境やハードは整ってきており、日本の高速伝送技術は最先端。だが重要なのはその上にどういうサービスを載せるかだ。サービスやアプリケーションを載せられる“開かれた”技術を提供できないなら、死に絶えるしかない」
欧米の企業が、放送と通信の垣根を取り払って新たなコンテンツサービス構築に動いているのに対し、国内の事業者はクローズドなサービス構築に動く傾向にある、と古川氏は批判する。
音楽や映像製作に関わるあらゆる機器がIP接続に対応し、それによってコンテンツの作り方が変わってきている。「あらゆるものがIPに切り替わっている。音楽分野では、アンプにも楽器にもOSやアプリが入り、相互連携し始めている。映像でも、IPが使われる領域が増えおり、プラズマテレビにもプロジェクターにもOSが入っている」
「IP経由で聞けるオーディオの音質も上がっている。オンキヨーのHDC-1.0は、Core2Duoを搭載したPCだが、AV機として十分に静粛。音楽配信サイト『e-onkyo music』を利用すれば、SACD、DVD-Audio並みの高音質な音楽を、パッケージではなくネットで楽しめる」
「ワークフローも変わってきた。撮影現場から非圧縮のデータを生でスタジオまで送り、そこで編集するということが可能になっている。映画『男たちの大和』は、尾道市(広島県)の造船ドックでロケが行われたが、データを非圧縮で東京のセンターに送り、そこで吐き出されたMPEG-4をHD画質で取り込んで広島に送り返して編集していた。『東京タワー』も同様だ」
「1コマ落ちたら放送事故」と言われる放送分野は、IPの利用にあまり積極的でない分野とみなされてきた。だが風向きは変わってきており、例えばNHKは、主回線(光専用線)のバックアップ回線としてIPを利用しているという。
「以前、NHKの本回線が落ちたとき、IPのバックアップ回線が起動した。IP伝送で放送中に2コマだけコマ落ちしたが、NHKから(ネットワークを提供している)NTTコミュニケーションズにクレームは入らなかったそうで、NTTコムの人は『2コマ落ちたことにNHKが気づかなかった』とうれしそうに言っていた(笑)」
「新潟地震の時も、本回線が落ちたが、米沢経由で光ファイバーのIP伝送に切り替えた。その結果、新潟の放送は1コマも落ちなかった。専用線は一度切れたら修復まで一切使えなくなるが、IPのいいところは、経由地を変えれば回線を確保できることだ」
バックボーンだけでなく、製作の現場でもIPは活躍し始めた。NHKのニュースバラエティ「つながるテレビ@ヒューマン」は、取材先の家庭内などに家庭用のDVカメラや小型ハードウェアエンコーダーを持ち込み、家庭用ADSL/光回線でIP伝送して中継する。HD画質での配信も可能で、大がかりな中継車も不要だ(関連記事参照)。
「新しい技術やハードは次から次に現れる。だが、それをどうサービスとして活用し、ビジネスにつなげていくかが重要」と古川氏は指摘する。
「例えば米国では、電話会社のVerizonが、IP経由でHD映像を楽しめるサービス『FiOS TV』を安価に提供している。電話会社と通信会社、放送事業者の垣根は壊れ始めている。日本でも、DLNAによって機器間の相互接続が行われて始めている」
「これからデジタルメディアにとって重要なのは、単にどのOSを使っていて、どんな機能があるか、というだけではなく、その中で、どういうサービスやアプリケーションを実装できるかということだ。(サービスやアプリ実装を可能にする)“開かれた”要素がないなら、死に絶えるしかない」
米国のサービスはオープンだという。「米Appleは、非圧縮で取り込んだデータをやり取りできるサーバを、オープンな仕様で作っている。英BBCは『放送事業者という立場を捨て、コンテンツをあらゆるデバイスで提供する』とWebサイトで宣言しており、自ら『IP経由か放送経由かは気にしない』と言っている。これはNHKならまず言えないことだろう」
「日本は高速伝送技術については最先端だが、サービス面では欧米の後じんを拝している状態だ」
「テレビポータル『アクトビラ』の構想も、閉ざされた壁の内側だけで花園を作る“Walled Garden”で、開かれたIPネットワークの世界とは違うんじゃないか。テレビだけの閉じた世界を作ってしまうのでは、と気になっている」
「アクトビラが、特定のメニュー、特定のポータルに偏らずに新しいサービスを実現してくれることを期待している」
古川氏は現在、来年4月に開講する慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科設立に向けて準備中。メディア関連技術からビジネスまで広くカバーし、新しい産業の創出を目指す研究科で、映像表現、音響、製作技術といったメディアデザインから、伝送技術や暗号化といったテクノロジー、著作権法など法律面、マーケティングなどビジネス面までを研究するという。
古川氏は、NTT西日本とタカラが開発し、フレッツユーザー向けに配った「フレッツ・ロボ」を、IP技術の重要な技術的進化の1つに位置づける。
フレッツ・ロボは、フレッツADSL回線を利用し、外出先から携帯端末などでリモートコントロールできる家庭用ロボットで2001年に開発された。サーバ機能を備えており、搭載したカメラで撮影した静止画を携帯に配信したり、携帯からロボ経由で家電をコントロールできたりした。
「小さなCPUとメモリスペースにプロトコルスタックを入れ、サーバとして機能したフレッツ・ロボはかなりの衝撃だった。当時、高速ネットワークのボトルネックはIPスタックだったが、フレッツ・ロボはOSをゼロから作り、プロトコルスタックを組み直して、アプリケーションが動くようにした」
「ネット接続できるHDDレコーダーの8割〜9割が、フレッツ・ロボでできたコンポーネントをライセンスしてそのまま使っている」
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