「遊ぶように仕事をする」は夢物語か?既成のワークスタイルを壊す「静かなる革命」(2/2 ページ)

» 2007年08月28日 09時38分 公開
[本間大樹,アイティセレクト]
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「成果主義」的発想をシャドーワークで見直す

 繰り返し言われることだが大量生産大量消費の時代は終わり、差別化された高付加価値のサービスや商品を生み出すことが企業の命題になっている。生産性とともに創造性が今まで以上に企業に求められているわけだが、そのための人事評価システムとして一時期注目された成果主義人事に関しても成功事例は多く聞かれない。

 個人の目標を設定しこれを上司が把握管理した上で、達成度合いによって報酬を与えるというのが成果主義の要諦だが、デジの理論でいうならば、仕事を「外発的動機」によって鼓舞しようとする側面があり、それゆえ仕事の本来の楽しさや喜び、「内発的動機」を奪っていた制度であるともいえる。成果主義人事でむしろ仕事に対するモチベーションが落ちたと言う結果が多く報告されるのも、こんなところなのかもしれない。

 バブル以降の経営合理化の中で組織の管理はより徹底化されてきた。しかしフォーマルな組織がフォーマルなものとして機能すればするほど、組織の官僚化もまた進みがちである。そこでは自由な発想、創造性は生まれがたく、生まれたとしてもさまざまな壁の中でつぶされていく可能性が高い。シャドーワークはそんな現在のビジネス環境の中で、仕事を仕事本来の姿に取り戻す、人間的な補償行為とさえ言えるのではないだろうか。

 しかし、おそらくシャドーワークを積極的に実践する「プロデューサー型」のワークスタイルを身に付けている人は、成果主義には肯定的だという。それは、ともすれば外発的動機が強調されがちな、表の仕事の中に内発的動機を部下やスタッフの心の中から呼び起こすことをしているからなのかもしれない。

 経営側が内発的動機に満ちたシャドーワークをどう組織の中に取り組んでいくかは、非常に今日的な課題であると言えよう。しかしこれまで見てきたように、シャドーワーク自体デリケートなものである。

 表には出てこないシャドーであるからこそ、純粋な「内発的動機」を保つことができるものともいえる。成果主義のように、それを無理やり既成の評価基準の枠で捉え、単純に金銭的報酬という形で評価をした瞬間に変質してしまう種類のものであることも認識しなければならない。

 考えてみれば資本主義自体が仕事、労働を賃金という報酬で評価するシステムである以上、仕事や労働が本来持っている楽しさ、喜びを追求することとは矛盾する性質をそれ自体が持っている。「内発的動機」というデジの理論を待つまでもなく、この矛盾はマルクスがすでに「疎外」という概念の中で述べていることだ。

 シャドーワークは「仕事」の本来の意味を取り戻すための、「静かなる革命」なのかもしれない。

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