Googleが“人工知能”ならぬ“人工意識”を組み込む日Weekly Access Top10

あなたは“自分”というものがいったいどういった仕組みで存在しているのかを気にしたことがあるだろうか。多くの哲学者が悩み続けるこの問題だが、近い将来、Googleがこの問題を解き明かすかもしれない理論をサービスに組み込む日が来るかもしれない。

» 2007年11月11日 00時00分 公開
[西尾泰三,ITmedia]

 今週のエンタープライズチャンネルを席巻したのは、Google関係のトピックだった。その中でも注目されるのは、8位にランキングしている携帯電話プラットフォーム「Android」だろう。すでに関連記事も豊富に掲載されているが、SDKが公開される12日以降、デベロッパーには興味深いであろうAndroidについての具体的なリポートが続々と登場するであろう。

 さて、このGoogleにかんして、記者は先日、グーグルの代表取締役社長、村上憲郎氏に取材する機会を得た。この模様はいずれ公開される予定だが、その中で、読書家の村上氏に最近印象に残った一冊を尋ねると、村上氏は前野隆司氏の『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』を挙げた。

 過去には人工知能にかんする仕事に従事した経験を持つ村上氏だけに、意識というものの存在に関心を示すのは当然だ。本稿はむしろ、『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』を取り上げたい。同著において前野氏は、意識を次のように理解している。

 「人の“意識”とは、心の中心にあってすべてをコントロールしているものではなくて、人の心の“無意識”の部分がやったことを、錯覚のように、あとで把握するための装置に過ぎない」

 この理解の根拠として、カリフォルニア大のリベット博士が行った実験が紹介されている。同実験は、脳の中の「動かそう」と意図する働きを担う部分と、筋肉を動かそうと指令する運動神経が、どんなタイミングで活動するかを計測しようとしたもの。この実験の結果、運動神経の指令は、心が「動かそう」と意図する脳活動よりも、0.5秒も先に行われたという。

 目や耳や鼻といった感覚器官から入ってきた情報は、脳の中でどのようにして1つの概念に統合されるのか、意識とは何か? を考察した人物は、古くはアリストテレス、中世フランスであればルネ・デカルト、近代ではウィリアム・ジェームズなど、歴史を振り返ってみれば何百人も挙げることができる。特に、「われ思う、ゆえにわれあり」で知られるデカルトは、人間は肉体(物質的存在)と思考する実体に分けられるという心身二元論を唱え、これが哲学の世界では今日まで大きな影響力を持っていた。つまり、感覚器官からの情報は脳のどこかにあるであろう「デカルトの劇場」に集約され、それを“思考する実体”が判断を下す、という考え方だ。

 しかし、近年になって、上述した前野氏や、米国の哲学者であるダニエル・デネット氏のように、心身二元論に異を唱える人物が現れてきた。

 デネット氏は、「デカルトの劇場」を「カルテジアン劇場」と呼んでいるが、そんなものは存在しないとひとなぎにし、それに替わるものとして、多元的草稿モデルと呼ばれる理論を示している。多元的草稿モデルを非常に簡単に説明するならば、大脳皮質の1つひとつは主張するもの(草稿)を空間的・時間的に並列する形で持っており、それらは相争う状態である。わたしたちが“自分”や“自己”と考えているものは、そうした皮質の1つがほかの皮質との競争に勝って出てきたものにすぎないというのだ。そうしたプロセスに大きな影響を与えるのが、外部環境からの条件付けと、脳が自らに向けて発する問いかけであるとしている。

 残念ながら、本稿だけでデネット氏の理論をひもといていくのは無謀すぎる。また、記者自身にも正確にひもとける自信がないこともまた事実であるため、この程度の解説にとどめるが(邦訳されたものも多く存在するため、興味のある方はダニエル・デネット氏の著書を読むことをお勧めする)、強調したいのは、デネット氏が、人間の思考プロセスはシミュレーション可能であるとしていることだ。

 グーグルの村上氏が『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』を印象に残った一冊として挙げたというのは、もしかすると、Googleが近い将来、強いAI、言い換えれば“人工知能”ならぬ“人工意識”を備えた検索エンジンとして、その登場当時以上のインパクトでわたしたちの前に現れる可能性を村上氏の大脳皮質が教えてくれたのではないかと妄想を膨らませてしまうのだ。

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