余剰博士は無用の長物なのか日曜日の歴史探検

博士課程に進むような方は、基本的に、研究者や大学教員になる以外の道を捨てた――アカポスと余剰博士のバランスが完全に崩壊してしまった現在、博士はアカデミックな世界から抜け出し、その力を発揮することができるのでしょうか。

» 2009年10月11日 02時00分 公開
[前島梓,ITmedia]

 「高学歴ワーキングプアとは何かを読みましたが、博士号取得者の実態という意味では何をいまさらな話ですし、現実はもっと厳しいですよ」――香坂さん(仮名)はこのように話します。香坂さんは地方の大学を卒業後、都内の大学院に入院し、4年前に博士号を取得されました。

 香坂さんは現在、いわゆるポスドク(博士研究員)として、大学に残っています。人文科学を専攻する香坂さんは現在34歳。大学院に進学するのは自己責任である、と前置きした上で、こう話します。

 「大学院への入院は、指導教官に誘われたからであったり、あるいは就職が決まらなかったから、という人も中にはいるでしょう。昔と比べれば、大学院に入院するのは簡単ですし、修士を終えて一般企業に就職するのは別に構わないと思います。ただ、博士課程に進むような方は、基本的に、研究者や大学教員になる以外の道を捨てた方であり、研究者として生きていきたいと考えている方が多いと思います。ましてや博士号を取った方であればなおさらでしょう。そうした博士が力を発揮するシステムはまだ醸成されていないように思います」

 教員市場におけるポスト不足が指摘されて久しいですが、それに加えて毎年のように増え続ける博士課程修了者。この2つのバランスが崩れているのは火を見るよりも明らかです。一般企業への就職を受け皿にしようにも、そもそも日本の伝統的な年功序列のシステムに博士課程修了者や進路変更を図るポスドクがそぐわないことから、結果として余剰博士の数は増え続ける一方です。もし産業界が真剣に博士の雇用を考えるのであれば、現在の大学院制度そのものを活用し、企業が必要とする博士を自ら育て上げるような施策なども検討すべきではないかと筆者は考えます。

 「もちろん、こういう状況は知っていた上で、それでも一人前の研究者になりたくてこの道に進んだわけですから、それについて文句を言いたいわけではありません。ただ、博士がアカポス(アカデミックなポスト)に“就職”できるというのはもう幻想なのかなと思うとさみしいですね。研究職はそれほど多くない上に、大学教員の職もさまざまな力学でなかなかポストが回ってこない。最近では大学の講義を非常勤講師が行うことも珍しくありませんが、非常勤講師の公募ですら、年齢の3倍くらいの数に応募して何とか、といった状態です。高学歴ワーキングプアとは何かで、『非常勤講師や短期雇用のポスドクにつくことを“余儀なく”され』とありましたが、余儀なく、ではなく、そうしたポストですら獲得するのが難しいのです」

 最近では、“特任”助教のポストなどが増えたこともあり(『特任』誕生の背景については次回以降で取り上げます)、業績のある若手の博士はそこに収まっていますが、概して研究者にこだわればこだわるほど、苦しまなければならない状態が続いています。

 「研究職になれるかどうかは、いわば“棚からぼたもち”のようなものですが、棚の下にいないとぼたもちはキャッチできないのです」と話す香坂さんに、筆者はアカデミックなキャリアパスにとらわれてしまった学生の悲哀を感じます。もちろん香坂さんの言葉だけを取り上げて、これが博士の姿であるというわけではありませんが、学生側も多様なキャリアパスを考慮する機会を意識的に持つようにしないと、いつまでたってもこの傾向は変わらないのではないかと思います。

 こうした余剰博士を国策として生み出してきた日本ですが、今度は博士課程の縮小の方向に政策のかじを切り始めました。文部科学省は2009年6月、全国86の国立大学法人に対し、大学院博士課程の入学定員の見直しを求める通知を出しています。大学院そのものではなく、博士課程に限定した見直しを求めていることから考えて、大学院重点化は間違いではなく、博士の活用に問題があったと国が認めているようにさえ思えてきます。

 博士号とかけて「足の裏についた米粒」と説くジョークはよく知られています――その心は、「取らないと気になるが、取っても食えない」というものです。香坂さんは、「35歳までやってみて、ダメなら次の道を考える」と淡々と話します。博士がアカデミックな世界以外でその力を存分に生かせる知識社会の誕生を期待したいところです。

参考書籍

この問題を取り上げた、あるいは大学院とアカデミックな世界についての参考書籍を以下に紹介しておきます。興味のある方はご一読いただければと思います。


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