『シンギュラリティは怖くない――ちょっと落ちついて人工知能について考えよう』書籍紹介(2/3 ページ)

» 2017年03月30日 09時00分 公開
[久保田創ITmedia]

 やがて、道具を作る・使うことによって生まれる成果に対して、価値の交換が行われるようになる。道具を使って狩猟・採集した人だけでなく、道具を作り出した人にも食糧が受け渡される仕組みが必要だからだ。その仕組みが定着すると、初期には役割分担が発達する。ある人は石器を作り、ある人はその石器を使って狩りをする。また、ある人は土器を作り、別の人はその土器を使って、より多くの木の実を採集する。このように役割を分担し、その貢献度に応じて食べ物が分配される。これは、分化した労働の慣習化といっていいだろう。

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 こうして労働は、道具を作ったり、使ったりして得られる「価値」の流通を生んだ。さらに人々が自分の役割や専門の作業に特化していくと、その中で生み出された生産物を各人の間で交換しなければ必要を満たすことができなくなる。これこそが「交換可能な価値=貨幣」の誕生を促した。例えば、自分が道具を使って作り上げた物を売ることで得たお金で、代わりに必要な食べ物を買う。その食べ物もまた、何らかの道具を使って得られた物だという具合である。

 そうした流れの中から、道具を使って何かを作り出すという「手工業」が生まれた。手工業で得られる価値は、生産物の数や量に比例する。そして生産物の数や量は、道具が動かされた回数や量に応じて増える。

 ということは、道具が使われるようになったことで、人間が物を作るために道具を動かした量に対して、間接的に価値が発生していることになる。道具は身体性の拡張がその機能であるため、人間の身体と切っても切れない。つまり、手工業で生まれる価値の量は、道具を使う人間の動きの量に比例することになる。

「機械時代」の価値の源泉は「マネジメント」

 それに対し、機械では動力が人力以外から供給されるので、生産活動に人間の身体は必要ではなくなる。第二次産業革命期に蒸気機関を動力にした機械が出現して、人力からの置き換えが加速した。動力が人力でなくなると、生産過程と人間は離れることになる。機械に任せれば、人間がいなくても物はでき上がる。このことにより、道具による生産をしていた頃とは価値の発生・分配の構造が全く異なったものになる。

 もう1つ、道具の時代と異なるのは「規模」である。機械による生産が始まったことで、道具で生産していた頃と比べ、生産物の規模や量は飛躍的に増大していく。そのため、一つひとつの生産物自体を作ることの価値は薄れていく。代わりに、機械の時代には、大規模に大量に展開される生産物に関わるリソースの管理、マネジメントというものが価値を持つようになる。機械の管理、流通の管理、顧客の管理、労働者の管理など、道具の時代のように小規模で展開していた頃には顕在化しなかった「リソースの管理」という仕事こそが価値を生む源泉となる。

 リソース管理が価値を生むという意味で、最も分かりやすいのは需要と供給の関係である。例えば布を機械で生産すれば、道具で作っていた時代と違って、一気に大量の布を生産することが可能になる。

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 けれども、単純に大量生産しているだけでは売れ残ってしまう。そこで「夏は暑いから、布はそれほどいらないだろう」「冬は寒さが厳しいから、布がたくさん必要だろう」「今年の流行の色の布を大量に出荷しよう」というように、需要とのバランスを考えて生産することが重要になる。これこそ需要と供給のバランスであり、このリソース管理をうまく操作することで、布の価格つまり価値も変動していく。布の価格の変動は、布の生産コストの変動よりも、リソース管理による変動の影響をより大きく受けるようになる。

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