アジャイルに取り組むなら、「ものづくり」への信奉は捨て去ろう「不真面目」DXのすすめ

アジャイル開発に取り組む企業が増える一方で、アジャイルと「ものづくり」を同列に語る人が増えているようです。筆者は製造業への敬意を示しつつも、「アジャイルとはマインドセットが全く相いれない」と喝破します。その真意とは。

» 2022年10月21日 09時00分 公開
[甲元宏明株式会社アイ・ティ・アール]

この記事は会員限定です。会員登録すると全てご覧いただけます。

この連載について

 この連載では、ITRの甲元宏明氏(プリンシパル・アナリスト)が企業経営者やITリーダー、IT部門の皆さんに向けて「不真面目」DXをお勧めします。

 「不真面目なんてけしからん」と、「戻る」ボタンを押さないでください。

 これまでの思考を疑い、必要であればひっくり返したり、これまでの実績や定説よりも時には直感を信じて新しいテクノロジーを導入したり――。独自性のある新しいサービスやイノベーションを生み出してきたのは、日本社会では推奨されてこなかったこうした「不真面目さ」ではないでしょうか。

 変革(トランスフォーメーション)に日々真面目に取り組む皆さんも、このコラムを読む時間は「不真面目」にDXをとらえなおしてみませんか。今よりさらに柔軟な思考にトランスフォーメーションするための一つの助けになるかもしれません。

筆者紹介:甲元 宏明(アイ・ティ・アール プリンシパル・アナリスト)

三菱マテリアルでモデリング/アジャイル開発によるサプライチェーン改革やCRM・eコマースなどのシステム開発、ネットワーク再構築、グループ全体のIT戦略立案を主導。欧州企業との合弁事業ではグローバルIT責任者として欧州や北米、アジアのITを統括し、IT戦略立案・ERP展開を実施。2007年より現職。クラウド・コンピューティング、ネットワーク、ITアーキテクチャ、アジャイル開発/DevOps、開発言語/フレームワーク、OSSなどを担当し、ソリューション選定、再構築、導入などのプロジェクトを手がける。ユーザー企業のITアーキテクチャ設計や、ITベンダーの事業戦略などのコンサルティングの実績も豊富。

 

 本連載では何度かアジャイル開発(以降「アジャイル」と略します)を取り上げていますが、DX(デジタルトランスフォーメーション)のような革新的なビジネスを推進するためのアプリケーションやSoE(System of Engagement:つながりのためのシステム)と呼ばれる消費者や顧客との接点を担うアプリケーションを開発する際にアジャイルは必須です。

 筆者は2000年代初頭から製造業のサプライチェーン管理システムにアジャイルを適用してアプリケーションを開発していましたので、SoR(System of Record:記録のためのシステム)と呼ばれる領域でもアジャイルは非常に有効と考えています。これには異論がある方も多いでしょう。

 SoRへのアジャイル適用の価値については今後、この連載で取り上げることにします。本稿ではDXやSoEプロジェクトでのアジャイルと「ものづくり」との関係にメスを入れたいと思います。

アジャイルを「ものづくり」視点で理解するのはやめよう

 アジャイルとクラウドを組み合わせると、大きな初期投資をすることなく、非常に短期間でアプリケーションが開発できます。DXプロジェクトで採用されることの多い「リーンスタートアップ手法」では、顧客や顧客に近い関係者(営業、代理店など)と一緒にMVP(Minimum Viable Product:最小限の価値提供可能な製品)を開発し、顧客からの評価を基にブラッシュアップを繰り返します。

 MVPを効率よく迅速開発するのにアジャイルは最適ですし、MVP評価後の製品ブラッシュアップにもアジャイルは適しています。

 DXに取り組む国内企業が多くなり、アジャイルに取り組む企業も増加しています。長年アジャイルの価値をコンサルタントとして国内企業に訴え続けてきた筆者にとっては大変うれしい状況です。ただし、気になるのは日本が得意とする「ものづくり」とアジャイルを関係付けて述べる人が多いことです。

 アジャイルはトヨタ自動車が生み出したトヨタ生産システム(TPS)を参考にしています。これはアジャイル創世期に書かれた記録から明らかになっている事実です。

 前述のとおり筆者はサプライチェーン関連の仕事に従事した経験があります。当時TPSやそれをベースにアメリカで生まれたリーン生産を研究して、これらの概念や仕組みはとても素晴らしいと考えています。

 しかし、本来自由で柔軟な開発プロセスであるアジャイルを「ものづくり」の視点で理解するのは危険だと感じています。

 基本的にTPSには教科書が存在しています。TPSやJIT(Just In Time:製造工程において、必要なものを、必要なときに、必要な分だけ提供すること)のコンサルタントから教わったやり方を守るのが基本で、企業やチーム単位で自由に変更することは歓迎されません。

 実際、常時JITで部品を納めなければならないサプライヤーにとって、プロセス変更は大きなリスクを伴います。このため、小集団活動での現場改善は行っても、プロセスを根本的に見直すことを容認する企業はまれです。

 対極的に、アジャイルは極めて自由です。もちろん多くの参考書があり、SCRUMやXPなどの手法もありますが、いずれもその開発プロセスを自ら変革することに対して否定することはありません。

アジャイル開発は「ものづくり」とは根本的に違う

 アジャイルは全員がハッピーになる手法です。従来の「システムエンジニアとプログラマー」といった階層構造はなく、ビジネスプロセス検討担当者とエンジニアには階層的な関係はありません。エンジニアも自由闊達(かったつ)にビジネスプロセスに意見を述べることが推奨されます。

 これに対し、「ものづくり」は基本的に原材料担当や部品担当、完成品担当、販売担当など企業間に明確な役割分担と階層構造が存在します。

 アジャイルは前述の通り、顧客やそれに近い関係者と共同作業を行って、顧客ニーズに迅速かつ柔軟に適応することを基本とします。

 これに対し、TPSに代表される「ものづくり」では「顧客ニーズにあわせて生産する」という基本概念はありますが、実際には迅速かつ柔軟に適応することは不可能です。原材料の調達や部品の製造、計画変更に伴う関係者間の調整など長い時間を要する業務が多いためです。これはPCやタブレット、クラウドさえあればいつでもどこでも開発と実行が可能なソフトウェアとは根本的に異なります。

 筆者は「ものづくり」を否定しているわけではありません。「ものづくり」とアジャイルを同列で論じる風潮に異論があるのです。

「ものづくり」への信奉を捨てよう

 日本の製造業はこれまで、そして今後も世界で大きな存在感を持つでしょう。しかし、いまの「ものづくり」の現場では、アジャイルが基本的精神として持つ「自律」――すなわち自分で考え、自分で自分たちのやり方に対して変革を進めるという思想は失われているように思います。

 これまで築き上げた素晴らしい仕組みゆえに、大きく変革しようという気概のある人が少ないのではないでしょうか。

 「ものづくり」の現場でよく見られる「教科書に従う」というマインドセット(思考の持ち方)は、よりどころを外部に求めている証拠だと思います。これはアジャイルの思想とは全く相いれないものです。

 また、「ものづくり」とアジャイルを同列に扱う人がよく口に出すのは「開発プロセスの工業化」です。しかし、工業化とはプロセスを標準化し、それを基に教科書を作り、それを淡々とこなす人を量産することにつながります。

 日本のIT業界は過去にも、そして今でも標準化や教科書整備に注力しています。その結果、世界で通用するソフトウェア開発を創生できない“体質”になってしまいました。DXをきっかけにアジャイルに取り組む企業や組織は、「ものづくり」への信奉を捨て去るべきなのです。

「『不真面目』DXのすすめ」のバックナンバーはこちら

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ