同社は、400VMある環境をどのようにハイブリッド環境に移行したのか。
移行前のシステムでは、データセンターに「VMware vSphere 4.1」と「VMware vSphere 5.5」が存在しており、4.1では10ノード/130VMs、5.5では17ノード/270VMsが稼働していた。これとは別に小規模に最新の環境を導入してはいたが、これが基本的に十数年間変わらない標準環境となっていた。
この非効率な運用を廃止してデータセンターや研究所に「VMware vSphere7.0u3」、AWSには「VMware Cloud on AWS」を導入。その上で仮想サーバを再分配し、同一セグメントとして運用できる新基盤を構築した。VMの数はデータセンターに約100、AWSに約300配分した。研究所は現状、ノードだけを設けており、今後ニーズに応じてサーバを稼働させる。
移行時の課題は、「EOSL」(End Of Service Life:サポート終了)の対象サービスだったvSphereから、最新バージョンへの移行に伴うリスクだった。公式には「vSphere4.x」のバージョンは「vSphere7.x」にそのまま移行できないとアナウンスされている。サードパーティー製の移行ツールもあるが、VMの台数によって課金されるため、400という同社の台数では現実的ではなかった。そこで同社は、移行プロジェクトのリスクを加味し、VMware製の移行ツールを使用することに決めた。
移行の手順は、旧環境を全て同じデータセンター内のvSphere7環境に移行した後に、そこからクラウドへ移す環境を選択、最終的に「VMware vSphere vMotion」でAWSへのオンライン転送を実施した。
また、新たなVMで古いOSを動かしたいというニーズもあった。社内には「Windows 2000」や「Windows Server 2016」などのOSに依存したシステムがあり、それらを残したかった。旧OSがクラウドのネットワークコンポーネントに対応するかどうかなど、不明なことが多かったが、動かしてみないと分からない点が多かった。
そこでIT部門では、OSとvSphereのバージョンを変えながら机上計算を実施。また、サンプリング試験で最低限の機能提供を確認して少々のリスクは許容する方針で臨んだ。
「バージョンごとの動作保証に関しては、VMwareと開発ベンダーの間で活発な議論があった。細かく場合分けをして条件を整理し、最終的には当社がリスクを取ることで進めた。そうした検討もあり、現在まで問題なく稼働している」(西村氏)
実際の移行作業中にも幾つかのトラブルが発生した。例えば、転送時にデータセンター内にある旧環境のサーバが停止した。その理由を解析すると、移行ツールがVMイメージを転送する際に転送用差分データを経由するが、そのエリアを使い尽くしストレージ領域を圧迫したためだった。
「データ移行時の差分データの容量見積もりが過小だった。特にデータベースのサーバでこの事象は起きやすいので注意が必要だ」(西村氏)
この問題に対処するため、移行時のストレージ領域を多めに確保し、移行後、ある程度時間が経過したタイミングで順次開放しながらサーバを切り替えた。他にも幾つかのトラブルがあったが都度解決していった。
今回のプロジェクトは、塩野義のシステム全体の運用と社内情シス機能を担っている日立医療情報ソリューションズ、VMwareのプライムシステムインテグレーターとして参画している兼松エレクトロニクス、そしてベンダーのVMwareという3社の連携によって進められた。
塩野義もこの3社と協業するために体制を強化した。プロジェクトマネジャーを西村氏が務め、日立医療情報ソリューションズの専門家と業務分担したチームを構成。一方、兼松エレクトロニクスも塩野義の要望も聞きながら、課題に対して最後まで取り組んでくれたと西村氏は評価する。
加えて、塩野義はVMwareのプロフェッショナルサービス本部 (PSO)の支援提供も受けた。西村氏はこのサービスに厚い信頼を寄せている。
「VMwareにはAWSの各技術領域のエキスパートがいる。会議でも『持ち帰り』がほぼなく、その場で解決の方向性を示せたため非常にストレスが少なかった」(西村氏)
塩野義は今回のハイブリッドクラウドへの移行プロジェクトでVMwareのカスタマーアチーブメントアワードを受賞した。西村氏は最後に「信頼できるパートナーと協業できたことが成功の要因だった」と話し、講演を締めくくった。
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