「マルチクラウド」は本当に正しい選択肢なのか? “成り行き”マルチクラウドがたどる道甲元宏明の「目から鱗のエンタープライズIT」

ITRの調査によると、約8割の企業がマルチクラウドを指向しています。しかし、あなたの会社は本当にマルチクラウドを選ぶべきでしょうか。何となく選んだ“成り行き”マルチクラウドの落とし穴とは。

» 2023年07月14日 12時00分 公開
[甲元宏明株式会社アイ・ティ・アール]

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 アイ・ティ・アール(以下、ITR)の甲元です。筆者は長年、IT業界に従事してきました。現在は数多くの国内企業にITコンサルティングを行ったり、国内におけるIT関連の動向を調査を実施して分析したりしています。以前はユーザー企業でIT戦略の立案や遂行、ITシステムや企業ネットワークの企画や設計、構築、運用を担当していました。

 この連載では、エンタープライズITの常識だと考えられてきた考え方やアプローチをゼロベースで考え直し、自由な発想でエンタープライズITに取り組み、ビジネスで成果を出すための秘訣(ひけつ)をお伝えしたいと考えています。

8割の国内企業がマルチクラウドを指向している

 第1回に当たる本稿から数回にわたってクラウドコンピューティング(以下、クラウド)を取り上げます。筆者は、日本で本格的なクラウドサービスが登場する前からクラウドに注目し、自身で評価や検証、構築を行い、多くの国内企業にクラウド関係のコンサルティングを実施しています。ちなみにここで言うクラウドとはSaaS(Software as a Service)やDaaS(Desktop as a Service)は対象外とし、IaaS(Infrastructure as a Service)およびPaaS(Platform as a Service)を対象にします。

 ITRが実施した最新調査によると、クラウド活用方針は現在も将来(約3年後)も複数のクラウド事業者を利用する「マルチクラウド」だと回答した国内企業は約8割と圧倒的多数を占めました。この割合は年々増加しています。これに対し、単一のクラウド事業者を利用する「シングルクラウド」は2割弱で、この割合は年々減少しています。

 国内外のIT系のメディアでもマルチクラウドは多く取り上げられています。統計を見ると、マルチクラウドは疑いのない選択肢のように見えます。

 しかし、多数票が入っているものが自社にとって最適かどうかには疑問の余地があります。統計を参考に適当と思われる候補を選んだ場合、凡庸な結果を招くことが多いのです。クラウドを効果的に活用したいのであれば、他社をまねるのではなく、自社の戦略や戦術を慎重に検討すべきです。

クラウドで成果を上げるために大切なこと

 改めてクラウドの価値を考えてみましょう。これにはいろいろな説がありますが、筆者は「スピード」「アジリティ」「イノベーション」の3つだと考えています。

 クラウドでは思い付いたら極めて短時間(約1分以内)でITリソースを立ち上げることが可能です(スピード)。いつでも迅速にITリソースを拡大、あるいは縮小したり、設定を変更したりすることが可能です(アジリティ)。「イノベーション」には先進テクノロジーの活用が不可欠ですが、いまやIT関係の先進テクノロジーのほとんどはクラウド事業者が開発したり、クラウドサービスで提供されたりしています。イノベーションにはリスクがつきものですが、クラウドでは新しい取り組みに時間もコストもほとんどかからず、失敗時の損失も最小限にできます。

 いまだにクラウドを「仮想サーバサービス」と捉えている国内企業は少なくありません。今やクラウドは「アプリケーション構築や運用のための総合的ITサービス」と捉えるべきです。

 クラウド黎明期は、クラウドのことを「雲の向こうにあるITリソース」と表現し、そのメリットは「データセンターやハードウェアが不要」や「所有から利用への転換」といわれていました。これらは誤りではありませんが、現在、大手クラウド事業者が提供しているサービス群がもたらすメリットはそれらをはるかに上回っています。

 「スピード」「アジリティ」「イノベーション」の3本柱からなるクラウドをうまく活用するには内製(自社要員で構築や運用を行うこと)が基本となります。SIerにクラウドの構築や運用を委託する外製では3本柱の実現は困難でしょう。

 前述の通り、クラウド事業者は「アプリケーション構築や運用のための総合的ITサービス」を提供していますので、クラウド事業者が提供するサービスを複数組み合わせて利用することでクラウド価値はより高くなります。

 日本だけでなく世界でクラウド市場シェア首位の「Amazon Web Services」(AWS)は230を超えるサービスを提供しています(2023年7月現在)。これらのサービスを全て利用する必要はありませんが、どのようなサービスや機能が提供されているかを常にウォッチし、自社ビジネスやシステムへの活用を検討する必要があります。外部に委託して情報を得ることもできますが、自社システムやビジネスでそれらをどう生かすかを判断するには内製化した上で、内部の人間がすばやく判断できる状況のほうが有利です。

本当にマルチクラウドでよいのか?

 では、内製でマルチクラウドを実現することは可能でしょうか。

 前述の通り、極めて多数のサービスを提供しているクラウド事業者を複数ウォッチすることは非現実的です。クラウド事業者が提供するサービスの内容はもちろん、その事業者のテクノロジーやビジネス戦略、新サービスのロードマップを理解しなければ、クラウドサービスをうまく活用することはできません。その意味では、契約するクラウド事業者は1社に絞るべきです。

 しかし、国内企業の多くはプロジェクトごとに異なるクラウド事業者を選定しているのが実態です。クラウドの登場以前にはプロジェクトごとにSIerを選定し、そのSIerが推奨するサーバベンダーを採用するという慣習がありました。クラウド時代到来後もその慣習が継続しています。

 十分に検討を重ねた結果、戦略としてマルチクラウドを選択する企業もあるものの、場当たり的にクラウド事業者を選定した結果としてのマルチクラウドが多いのではないかと筆者はみています。

 プロジェクトごとにサーバベンダーを選定してきた結果、企業システムのサイロ化につながりました。同じことをクラウドでも繰り返していると感じるのは筆者だけでしょうか。

 「シングルクラウドではベンダーロックインのリスクがあるのではないか」と考える人も多いでしょう。シングルクラウドであれば、その事業者にロックインされると思います。ただし、それは悪いことでしょうか。ほとんどの国内企業は「Windows OS」にロックインされていますが、それで何か問題は生じましたか。クラウド事業者のロックインについては別の機会に詳しく論じる予定です。

 現在、十分に検討せずに“成り行き”でマルチクラウド状態になっている企業は、「本当にマルチクラウドでよいのか」と自問し、十分かつ慎重に検討する必要があります。

筆者紹介:甲元 宏明(アイ・ティ・アール プリンシパル・アナリスト)

三菱マテリアルでモデリング/アジャイル開発によるサプライチェーン改革やCRM・eコマースなどのシステム開発、ネットワーク再構築、グループ全体のIT戦略立案を主導。欧州企業との合弁事業ではグローバルIT責任者として欧州や北米、アジアのITを統括し、IT戦略立案・ERP展開を実施。2007年より現職。クラウド・コンピューティング、ネットワーク、ITアーキテクチャ、アジャイル開発/DevOps、開発言語/フレームワーク、OSSなどを担当し、ソリューション選定、再構築、導入などのプロジェクトを手掛ける。ユーザー企業のITアーキテクチャ設計や、ITベンダーの事業戦略などのコンサルティングの実績も豊富。

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